以下は共同通信の配信記事
東京五輪の空手女子代表でパワハラ被害を訴えている植草歩選手(JAL)が、全日本空手道連盟(全空連)の香川政夫選手強化委員長を傷害容疑で刑事告訴する方針を撤回したことが1日、分かった。
https://this.kiji.is/750379196607414272
この件についてのニュース等はそんなに詳しく見てはいないのだけど、確か竹刀を使った稽古で目を突かれたって話だっけ。
それを聞いた当初から「パワハラとか言ってないで傷害で刑事告訴すればいいんじゃね?」と感じていて、本人もそれを予定していたこと自体は上掲の記事で知ったのだが、しかしそれを取り下げるという。
なんなんだろね。
両者の関係がどうなっているのか、何かしらの交渉があっての結果なのか、告訴撤回せざるを得ない正当な理由があるのかどうかっていうのは、私も含めた外部の野次馬には知る由もないわけで、そうするといろいろな邪推も生まれてくる。
パワハラ被害を訴えていたというのはその実態を世に知らしめたいっていう意図があってのことなんだろうが、刑事にしないとなると「被害妄想?」「個人的な恨みから大げさに言っていただけ?」なんて感じでね。
こういうのを見ると私などはどうしても「何かしらはあったのだろうが刑事告訴するには弱いから、相手を貶めたいためだけにパワハラのレッテルを貼り付けた」という風に見えてしまう。
「この指導者から離れたいけど、そうすると五輪代表の座が危うくなるから、指導者の方を悪者にしようという打算でパワハラといっただけなんじゃないか」とかね。
そういう見方をされるのが嫌ならちゃんと法に問うたほうが、はっきりしていいと思うんだがなあ。
セクハラってのもそう。
ニュースなどで、痴漢とか猥褻とかも含めてセクハラってまとめちゃう風潮がどうにも気に入らない。
たとえば痴漢をセクハラなんて称してしまうと、逆にニュアンスが柔らかくなってしまって、かえってそれをやった側のほうの救いになるようにも思うし。
罪に問えるほどではないけれど、どうにも我慢ならない暴言とか、そういうのは確かにパワハラにおいてもセクハラにおいてもあると思うよ。
だからそういう思いをした当人がそれを言うのは仕方がないにせよ、でもメディアなどがその言葉を使うのは違うと思うんだよなあ。
単なる手抜きというか思考放棄というか。
メディアが「問題あり」というのなら、その問題部分を明確にすることが報道の責務なんじゃないの?
空手の植草の件を例にすると、たとえ本人が「パワハラ被害」と言っているとしても、メディアはそれを報じるにあたって、ちゃんと事実関係を調べた上で「竹刀で目を突かれて負傷したことを訴え出た」と言うべきではないかということ。
調べた結果、仮に「根拠のない個人的恨み言」ということであったなら、それは報道しないという判断をするべきだろうし。
それを雑に「セクハラ、パワハラ」なんて言っちゃうことで、世の中の善悪、犯罪か否かっていう分かれ目の部分をドンドン曖昧にしていってしまって、結局多くの人にとって生きにくく息苦しい社会を生み出すことになってしまうと思うんだよなあ。