ベスト映画を問われれば、昔っから迷わず『ブルース・ブラザース』を挙げているのだが、ものの本でアメリカの音楽史を知ったのはほんの数年前のことだった。
一冊読んだだけで検証はしていないから正しいか否かは分からないが、とにかくそこで知ったのは以下のようなこと。
70年代のあたりまで、アメリカでは黒人音楽と白人音楽は明確に分かれていたのだという。
エルビス・プレスリーは黒人音楽のリズム&ブルースを取り入れたロカビリーで人気を博していたし、もちろん白人でも黒人の演奏する音楽を好んで聴く層もいたのだろうが、ジャンルとしてはきっちり黒人音楽と白人音楽は分かれていて、MTVも放送開始した1981年の頃は「黒人ミュージシャンの曲は流さない」という方針だったのだとか。
この壁を崩して白人ポップスを取り入れたのがマイケル・ジャクソンであり、ロックを取り入れたプリンス、ヒップホップ等々の要素を取り入れたマドンナといった面々であり、それ以降、黒人音楽と白人音楽の明確な区別は無くなっていった……。
ブルース・ブラザース自体が公開されたのは1980年だから、まだ白黒の区別が明確にあったころのこと。
そのため制作されていた時点では「こんな映画は白人は観ない」などと言われていたというのも後で知った。
そんな当時に黒尽くめの恰好で黒人音楽を唄ったジョン・ベルーシとダン・エイクロイドというのは、一つ間違えれば差別主義者とのレッテル貼りをされかねないキワキワのことをやっていたわけだ。
黒尽くめの服装とサングラスというのはかつての黒人ブルース・シンガーたちへのオマージュというが、それでコメディをやれば文句を付ける層もきっといただろう。
私が洋楽を聴くようになったのはMTV=ベストヒットUSAが始まった80年代以降だからそれ以前の黒人音楽と白人音楽の葛藤などまったく知らなかったわけで、高校時代の私は、ただノリの良い音楽映画ということで嬉々としてブルースブラザースを観ていたわけだ。
その結果として今も昔も黒人音楽と白人音楽というのを区別して聴くことなど一切ないし、黒人音楽やその文化は尊敬の対象でしかなく、そこへの差別意識なんてものも毫ほども持たずに育つことになった。
そうした自分の経験から、何も知らない状態から自然と慣れ親しむことこそが真の反差別教育ではないかなと思うわけです。
「これが差別だ」「あれが差別だ」といちいち糾弾することは、反発と委縮を生むだけのこと。
まあでも、そういうことを言う人々は、反対勢力をそうやって委縮させることで悦に入り、なんなら差別する側に回って利得しようという考えなんだろうが。
「これまで差別によって失ってきた遺失利益を取り戻す」というのも分からないでもないが、それを言い出したら差別解消のまえに利益調整なんて余計な段階が生まれて、そうなると(反差別を主張する側の言うところの)既得権益者も易々と引き下がることができなくなり、事態解決にはその分時間がかかることになるわけで、そう考えたときに、じゃあ一体、差別解消と自身の利得、どっちを優先しているのかって話でね。
前々日の当ブログで書いた「更衣室やトイレも男女一緒にすればいい」というのだって洒落や嫌味で言っているわけではなく、ホントに男女差別なんて意識のない幼少時からずっと一緒にしていれば差別なんてなくなるんじゃない?っていうこと。
その結果として思春期にもなれば乱倫状態になるかもしれないが、まあそれも男女同権の一つの形であり一部フェミニストなんかもフリーセックスなどと言ったりしているわけで、そういった状態からまた新たな文化を生み出していけばいいんじゃないですかね。