大坂なおみの姉が「日本にも差別はある」みたいなことを言ったとかなんとか。
それは確かにね、子供の頃にはあるよ。
生物的な本能のところで、自分らと違うものを避けたいっていうのはどうしてもある。
黒人だからということではなく、それは白人も同じこと。
極端に身長が高かったり低かったり、いろんな理由で知能レベルが劣ったりとかもやっぱり排除したいという本能的なものだ。
繰り返すがそれは原始的な生物の本能として、異物を避けたいという気持ちであって、これをアメリカにおける黒人差別と同列に扱われちゃうからどうにも話がややこしくなる。
肌の色が似通っていても他民族への違和感てのもあるしね。
ウチの下の子が小学校低学年の頃、「●●ちゃん、図書館で私が借りようと思ってた本、取ってっちゃうんだよね」と困ったような顔で言ってきたことがあった。
聞けば他にもいろいろと手前勝手な行動があって、そのたびにウチの子は「でも友達だから」と我慢していたのだとか。
●●ちゃんというのは中国系の子だったらしい。
小学生低学年の子に文化的な違いとか生活習慣とか言っても理解できないだろうから、「自分の気持ちも主張していかないと結局いい関係にはならないよ」ぐらいのことしか言わなかったのだけど、そういうような精神文化の背景などからくる違和感によって、他国の子を排除していくケースもあるだろう(●●ちゃんとの関係がその後どうなったかは知らないが、少なくとも友人として名前を聞くことはなくなった。まあ単なるクラス替えとかの影響かもしれないが)。
こういうような意識について「差別」ではない何か別の言葉をあてはめられないものかしら。
「差別だから悪」と最初から決めつけて教育の段階でNO!と蓋してしまうのではなく、「どうしても自分の中に生じてしまう感情だけど、それはお互い理解し合っていかなきゃいけないよ」と、ちゃんと子どもたちの精神的成長を促すためにも「差別」じゃない何か別の言葉が必要なんだろうなあと思う。