ユーチューブの動画が見られなくなっているとネットで見かけたので、確認に行ったときにはもう見られるようになっていた。
ついついM-1グランプリの2回戦動画をいくつも見ちゃったよ。
このところ、仕事の合間などにちょこちょことM-1の2回戦動画を見ていて、そんな中でも、まあ贔屓目もあるのだろうがインディアンスと金属バットは圧倒的だったなあ。
あれだけの量のネタを全部見られるわけもなく気になるところだけを拾い見しただけなので、他にも良い組はあるのかもしれないけれど、とりあえず自分の見た中ではね。
他のコンビと比べてみると、場を支配する空気感とでもいうのか。
ネタはしっかりと仕上がっているし、むやみに意気込んだり焦ったりというような空気がまったく感じられない。
ありきたりな言い方になるが、他の組とはレベルが違うように見受けられた。
嘘か真か、誰ぞのユーチューブ動画で「インディアンスと金属バットは他と比べても飛び抜けて、めちゃめちゃしっかりとネタ合わせをやる」と聞いたのだが、なるほどなあ、と。
サンドウィッチマンに代表されるような、「なになにをやってみたいんだ」「じゃあ」というように途中で設定した役柄を演じるコント風漫才。
このパターンの漫才は今非常に多いのだが、私自身の好みでいうとこれはやや食傷気味。
これを究極にまで突き詰めて登場のときから「漫才師役」を演じ切るのがジャルジャルの漫才で、過去にM-1で披露した「ピンポンパンゲーム」や「国名わけっこ」のネタなどは「漫才の教科書というのがあるならばこれを真っ先に載せるべき」というぐらいに高く評価しているのだが、それと比べてしまうと今の他の芸人たちのやっているコント風漫才はどれも見劣りするように感じてしまう(たとえサンドウィッチマンであってもだ)。
しかしインディアンスの場合、やはり「なになにをやってみたいんだ」というフォーマットは使うのだが、それを単なるギャグの踏み台にしているというのが他とは違うところ。
話のとっかかりとしてコント風設定を用意して、田渕がそれに関連したギャグを連発するという形であり、これはコント風漫才を脱構築した進化系漫才だと言えるのではないか。
一方の金属バットは、80年代MANZAIブームからダウンタウンを経て今につながるしゃべくり漫才の系譜にあるようでいながら、ジャルジャル的な「漫才師を演じる」というコント風設定がベースにあるハイブリット漫才。
しゃべりで勝負という体裁でいながら、しっかりと設定を組んでいて、しかしながらそれを「いかにも用意された台本の通りですよ」というふうには感じさせない友保の達者なしゃべりは実に見事なものである。
その点が、いわゆる雑談系の漫才とは異なるところであり、また友保の話芸によって、一部からは「感情がこもっていない」などと批判を受けることもあるジャルジャルの漫才に、毒舌を含む人間味をしっかりと加えたような形になっている。
たとえばコウテイなどのように見るからに奇抜っていうわけではないから分かり辛いのだが、インディアンスや金属バットのスタイルは、他の多くの漫才と比べてかなり異質なものである。
異質ということでいえば「究極のスタンダード」を目指している風のジャルジャルもそうだろう。
ジャルジャルとインディアンス、金属バットは一見するとまったく違った毛色のようでいながら、実は芸を突き詰めるタイプの舞台特化型芸人であるという点では共通しているように私には見える。
それゆえにということなのか、テレビバラエティ向けの平場のしゃべりに弱いというのも共通したところであり(金属のネットラジオ『声流電刹』はおもしろいが、あれはあくまでも身内トークなので)、しかしそれだからこそ、応援したいという気持ちは強い。