昨日、藤井二冠誕生に関してワイドショーはどんな感じなんかいなとちょこちょこっとザッピングしていたら、テレビ朝日モーニングショーの玉川徹が「完璧すぎてちょっとイラっとする」みたいなことを言っていて、だからお前はダメなんだ、と。

 将棋のルールがわからなくとも、藤井二冠の立ち居振る舞いをみて、発言を聞いてそのすばらしさが理解できないなんて、人間としては下の下だ。

 まず王道を理解することなしにまっとうな思想も批評も生まれないという思考体系ができていない。

 そんなだから、「安倍のやることはなんでもダメ」みたいな浅薄な政権批判を臆面もなくできるのだろうが……。

 

 

 玉川は年齢的に私よりちょこっと上のはずだから、80年代ポップカルチャー全盛期のもろバブル世代になるのかな。

 玉川がそのど真ん中にいたようには見受けられないが、そういう時代の反権威的な空気にはきっと大きく影響を受けてきたに違いない。

 

 それだから藤井二冠のような「完璧」な存在をみると、反射的に「どこか欠陥があるんじゃないか」と考え、それが見当たらないと「つまらない」という。 

 メディアを離れたところでは、きっと上皇や天皇陛下に対しても「あいつらはつまらない人間だ」とか言っているんだろう。

 

 

 だけど「つまらない」というのは要するに「わからない」ということなんだよな。

 将棋の世界がわからないというだけでなく、清く正しい生き方というのも実感として理解できていない。

 一つの道に専心し、変な欲を出すことなく、そういう意味での慎ましく生きるということの価値がわかっていない。

 

 それがわからない自分が「貧しい思想に染まっている」ということもわかっていない。

 

 逆に、将棋のルールもよくわからないという主婦層などが藤井二冠のニュースに熱中するのは、藤井二冠のような世俗にまみれず清く正しく生きて、それによって名声もお金もついてくるという生き方のすばらしさを理論理屈ではなくとも感覚として知っているからなのだろう。

 「わが子も藤井二冠みたいに育ってほしい」というのはなにも賞金のことだけではない。

 

 玉川のような連中からすると、 別ジャンルだけどゴルフ渋谷日向子の笑顔をみても、「裏の感情は……」とかいちいち勘ぐったりするんだろうなあ。

 「いつも笑顔でいられる善人など存在しない」と思い込んでいるし自分ではとてもできないから、「笑顔の裏には何かしら葛藤があるに違いない」なんて思うんだ。

 

 でも本当は、渋谷日向子の笑顔とか、藤井二冠の配慮の行き届いた見事な言葉遣いこそ、日本の誇るべき文化的財産なのだ。

 天皇陛下をお手本にして、そういう笑顔や配慮ができるようになることが、日本人としての素晴らしい理想であり、そうなるべきだという教育を受けてきたはずなのだ。

 逆にいうとそういうことを内心のどこかで感じているからこそ玉川のような反日思想の持主は腐したがるのかもなあ。