たとえば、動物園で飼育している動物が、ある日突然、オス同士、あるいはメス同士で生殖活動に類似する行為をやり始めたら、人はどう思うか。
きっとその動物がおかしくなった、あるいは天変地異の前触れではないか、などと思うのではないか。
パンダやトキなどの希少種が同性愛にばかり励んでいたなら「ちゃんと異性と生殖行為をして子孫を残せ」と思う人がほとんどだろう。
それと同じように、人間の同性愛も「異常事態」だと考えるというのが基本的な私の考え。
それを踏まえて、昨日書いたものを改めて読むとダラダラ長ったらしいので自分用にまとめ直す。
① 人はもともと「同性愛」も「異性愛」も区別なく、本能的な気質としてもっている。
② 生活環境や教育によって倫理的に、あるいは性徴により子孫繁栄の自我に目覚めることによっていつしか大半の人々は「同性愛」の部分は表に出さなくなっていく(人間以外の動物は、性徴の発現が人間より早く、しかも強いから同性愛が目立たない?)。
③ 性教育などを受けなかった、あるいはそれに染まらなかった人には同性愛の部分が残る。
こうした流れがあって、そこに異性愛での失敗、あるいは同性愛での成功体験が加わり自分の思い込みが強まることで、LGBT気質の人というのが生まれるのではないか(精神病理的なものは除く)、というのが私の推論。
つまり同性愛は、人として本能的に正常に備わっている感覚だが、それを大人になってまで持ち続けることは「異常事態」なのだと考える。
すでに似たようなことを言う声もあるのかな。
そのあたりはちゃんと勉強したわけではないのでよく分からない。
もっとくだけていえば、子どもの頃はチンチン丸出しで遊んでいたのが、大人になれば恥ずかしさや対社会的な意識からパンツを履くようになるのだが、そうならずに大人になってもチンチン丸出しの露出狂であることと、LGBTとは本質的に同じなのではないか、ということ。
で、「パンツを履くのは窮屈だからチンチン丸出しでもOKなように法律を変えろ!」「チンチンは誰でも持っているのだから隠す必要はないし露出させる権利がある」「チンチン丸出しを規制するのは差別だ!」と叫んでいるという。
あるいは別の例。
たとえば病気かケガかで右目の視力が著しく劣るような人が、「車が左側通行だと、運転時に対向車に気付き難い。左通行に固定されているのは右目の視力が落ちる人への差別だ」「欧米では右側通行がふつうなんだし、日本も変えろ!」「いっそ左右の通行は自由に選択できるようにしろ」というような。
いやべつにチンチン丸出しも車両の右側通行も、そして同性婚など同性愛を法的に異性愛と同じように扱うことも、かまわないといえばかまわないのですよ。
だけど、全国的なルール変更を国にやらせようというならまずは代弁者としての議員を国会に送り込んで、そこで手続きを踏んでくれ。
デモやらメディアを使っての主張展開は、少なくとも私の目には我がまま勝手を言っているようにしか見えなくて不愉快だから、極力控えてくれっていうのがいちばん言いたいところかな。