医者や学者は「万が一」のときに自分の責任になっても困るから何事も大袈裟に言いがちなもので、昨日の新型コロナに関する発表でも「オーバーシュート」なんて言い出したところを見ると、逆に通常における感染拡大は終息に向かっているってことなんだろうと私的には解釈している。

 

 東京五輪に関して「日本で収まったとしても世界的には」なんて声もあるが、7月頃には発端となった中国の状況を見ても(やつらの発表をその通りに受け止めるのはどうかとは思うが、恐らく縮小傾向にあることに違いはないんだろう)大抵は収まってるでしょうよ。

 

 

 練習ができないとか選考会がとか言うけれど、それによって迷惑被る選手もいる一方で漁夫の利を得る選手もいるわけで、まあ「いってこい」ってことで仕方がないんじゃないの? 

 コロナのせいで出られない選手がいたとしても、それは「運が悪かった」ってことで、原因はまったく別だが桃田とか池江みたいなこともあるわけで、個々人で受け止めてもらうしかなかろう。

 

 

 「新型コロナとの戦いは戦争だ」なんてこともいうんだけど、だったら戦後復興、終戦を祝うお祭り的な位置づけにするには、東京五輪を予定通りに開催することはとっても良いスケジュール感だと思うんだがなあ。

 もし感染拡大の収まっていない地域があったとしても、それがたとえばイタリアだったとしたら「イタリア支援」みたいな名目をつけて、会場で募金を集めたりとか。

 

 「こんなときに五輪なんて」という物言いはお話にならない。今の感覚で言っているだけに過ぎず、3か月後4か月後ということに想像が及ばない人間なんだろう。

 

 延期論も「確実に終息が見えた」状態であれば1か月、2か月程度の延期もアリなんだろうが、1年後なんていったらじゃあ次の冬になにも起こらないのか、っていう話になってそんな保障はどこにもないわけでね。

 実際、延期っていう人のほとんどは特に確信があるわけではなく「なんとなくそのほうが良さそう」ってぐらいで言っている単なる「問題は先のべ」の感覚なんだろうとも思うし。

 

 準備不十分の開催となると記録的な面ではいまひとつになるかもしれないけれど、本来記録を目的とした大会でもないわけだしさあ。

 祝祭としての位置づけで、東京五輪はハデに明るくやればいいと思いますよ?