ふだんから小バクチに勤しむ私のような人間にとって、少々の負けなど日常のことでありすっかり耐性がついている。

 もちろん気にならないってことはなく、少額の負けであっても嫌なものではあるし精神的に凹むことはあるけれど、いちいち大騒ぎはしない。

 負けはあくまでも自分の責任のことで他人のせいにはしない……というか他人のせいと言ったところで結果が変わるわけもなく、一度の負けに執着せず、さっぱりと諦めて次に勝つためのことを考えるというのが習い性になっている。

 たとえ自分に責任の一切ない想定外の事態に見舞われたときでも、すぐに「次」の良策を思案するのが常である。

 

 それだから、不幸に見舞われたからといって、それを「他人のせいだ」と騒ぎ立てる人間を見るとどうにも胸糞悪く感じてしまう。

 

 ここにきて「新型コロナ対策で公演中止などにより損害を被った」として演劇やクラッシック音楽の関係者が政府に損害補償を求めているなんて話を見かけるのだが、「はあ?」って感じ。

 

 政府の要請に対して、「感染拡大を防ぐためにはやむなし」と自主的に判断して中止しておいて補償だと?

 要請だといっても実質的には「中止を強制された」と受け止める感覚自体は分からないでもないのだが、補償を求めるということは政府や自分らの対応が間違っていたとでもいいたいのかい?

 

 単に「苦しいから助けてください」というのだって、「そんなもん、運が悪かったと諦めろ」としか思わないのに、補償って。

 そういうことを言う人間は心底くだらないと思ってしまう。

 特に芸事なんて、自分の好きでやってる仕事なんだから、自分でなんとかしろって。

 

 そういうニュースを見るたびに「こういうことを言う人はよほど潔癖な人生を送ってきたんだろうなあ」「少々バクチでもして日頃から負けるということを実感していればこんなことは恥ずかしくて言えないだろうに」なんて思ってしまう。