ロバート・キャンベルが同性愛者であることを公表したとかどうとか。
 テレビでみかけたところでは「頭の良い上品な人」とのイメージで、それは同性愛者であることを知った上でも変わらない。

 ただなあ、それを公言すること自体「勘弁してくれよ」っていうのが正直なところなのである。

 ゲイだの女装家だのを売り物にしてメディアに出ているタレントはある意味その世界における「セクシータレント」や「フーゾク嬢」みたいなもので、性を売り物にして商売をしているわけだから嫌なら見ないだけなんだ。

 だけどそうじゃない人が、そういう性のことを正面に立てられことが私としては嫌なんだなあ。

 別に同性愛に限らない。
 たとえばスポーツ選手、RIZINで朝倉カンナが那須川天心との交際のことばかりアピールされても視たいのはそれじゃない。そこは勝手に自分らだけでやってろってな話でね。
 恋愛話はいいから試合を見せてくれという。

 異性愛者であったとしても、たとえば男性の同僚が仕事中も女の話ばかりしてたら単純にウゼエじゃん?

 LGBTか異性愛者かに関わらず、それを売り物にする人間以外は黙ってろ、と思うわけですよ。
 個人的な愛欲を剥き出しにされても、そんなものには関わり合いたくないというのがふつうの日本人の感覚だろう。



 あと同性愛者は差別をされているとか生きづらいとか言うけれど、だけどさあ。
 じゃあ異性愛者は生きづらくないと思っているわけ?
 ロバート・キャンベルだって文学者なら、どれだけ異性間の悩みが文学の主題とされてきたかぐらいは分かるだろう。
 むしろ男女ともにそれぞれ選択肢が広いぶん、そこにハマらない人間にとっては同性愛よりも辛いんじゃないか。

 不細工とか陰キャラとか言われて恋愛の対象にすらされない。
 その苦境をどうにかしようと多くの異性愛者は、その本音を内に秘めて日々頑張ってるわけですよ。

 そんなところに「同性愛者は差別されてる」なんてイージーなワードで不満をまき散らされると、「はあ? ふざけんなよ?」となる。
 そういう異性愛者の気持ちを同性愛者はどうか汲み取ってくれないものだろうか。