メディアではいまだ大相撲の問題でグズグズやっているようだが、協会側もいちいち貴乃花親方の行動に捉われるのではなく、事務的に処理すればいいだけだと思うんだがなあ。

「こちらの呼び出しに応じないなら処分します」
「届け出なく巡業を休んだ貴ノ岩も処分します」

それでよくない?

貴乃花側も信じる通り、司法に任せているわけだし。

変に感情戦に持ち込もうとするマスコミ連中の顔色などうかがっていてもロクなことにならない。
貴乃花側が「警察、司法に任せます」と相てにしないように、協会側も「これが規則ですから」と突っぱねていれば、ヤツらは周りからグジグジ文句を言う以上のことはできない。
そもそも相撲界を良くしたいという理念理想など持ち合わせていないんだからね。

そうするうちに大相撲番以外のマスコミ連中は「ネタにならない」と自然と離れていって、事態は沈静化し、収まるところに収まるだろう。


ところで、今回問題において黒幕として批判を浴びる白鵬だ。
まあきっとモンゴル勢の元締めみたいな形でさまざまに影響力を発してはいるのだろう。
モンゴル人同士の星の譲り合いもきっとあって、鶴竜なんかはそれで横綱になれたんだろうというのは多くの大相撲ファンも常々感じていたところではないか。

ただこれに関して私としては「良いこと」とは思わないが否定する気もない。
そんなん昔から大相撲にあったことだし、それも含めての大相撲興行だ。
「あっ!やりやがった」ってなもんで「うまくやったなあ」もしくは「もっと隠せよ下手糞!」と見世物としての相撲の一部と捉えるのがふつうのファンの感覚だと思っていたのだが、世間はそうでもないのか?

発言内容は見ていないもののやくみつるがこれに対して公に「モンゴル人力士の間で八百長が行われた疑念がある」なんて意味合いのことを言ったらしいが、この人は自分の見てきた大相撲の歴史を否定するつもりなんだろうか。
「八百長NO」なんてナイーブな心性では、相撲に限らずあらゆるスポーツもエンタメも楽しめないだろうに。
モンゴル人に個人的恨みがあるとしか思えない。

八百長を批判しながら、同時に白鵬のかちあげを批判する声があるのも良く分からない。

かちあげは横綱らしくない。
横綱なら相手をしっかり受け止めて、と言うのだがあれは故障なく場所を務めるためにやむなく取り入れたものだろう。
全取組で立ち合いにガッツリ当たっていたらとても身体がもたない。
横綱の務めを果たすため、ああいう形をとっているのであって、つまりは千代の富士みたく八百長を使ってではなく自力で身体を守るための技なのに、それを批判するということは八百長をしろと?

あるいは横綱ならば、故障もやむなしで相手とぶつかり合えということか。
そういうのであればそれもひとつの意見であり、これなら私も否定派しない。
横綱をひとりの人間とは考えず、相撲神として相撲道に殉じろというのは私の中にもあるのだが、それは思っていても相手の人生を考えれば言えないやなあ。
故障からの破滅を強制するなどは、それこそ貴ノ岩への暴行以上に野蛮な行為であろうに。