このところ続けて大相撲について記してきているが、擁護なんて大層なことを言いたいわけではない。
私の中にあるのは身体能力的意味での強者に対する圧倒的な敬意。
範馬勇次郎じゃないけれど、やっぱり雄としての優劣の究極は、肉体にあるというのが無意識の中にも染み付いているんだろう。
こうした考え方を野蛮と見る向きは当然あるだろうが、しかしいくら小賢しい言葉を並べたところで面と向かって「うるせえ、ぶん殴るぞ」と言われれば、これに対抗するには相手の身体能力を上回るだけの力…権威を背景とした警察能力とかそういうものに頼るしかないわけでね。
一対一の男の勝負となればどうやったって完敗だもの。
たとえ拳銃などの武器を持ったとしても私ごときでは白鵬に勝てる気がしない。
大相撲中継を見ているときも別に白鵬も日馬富士も積極的に応援したことはないのだが、それでも横綱を貶すようなことは口にできないし本心のところで思い浮かびもしない。
同じモンゴル人横綱でも鶴竜についてはまったく認めていなかったりするので、その点では二重基準なのかもしれないが、結局、横綱という地位よりも土俵の上に見える肉体的能力や才能が私にとっては大事だということなんだろう。
格闘系興行で「強さ」以上の価値なんてあるの? っていう、ただそれだけ。
品格もルールも不要とは言わないが、まずは強さが第一で、そのほかは付随の話だというのが私なりの価値観なのだ。
そんな心持ちだから、今の相撲界の頂点に立ち歴代最強クラスといえる白鵬に批判的な意見を見ると、気にいらないといよりも、「なんでそんなことが言えるのか」という違和感が大きくて、それで何かひとこと言いたくなってしまう。
白鵬批判の先鋒に立つやくみつるや、やはりモンゴル力士に批判的なネットの意見などを見ると不愉快というのもあるが、それ以上に「なんでおまえらごときが大横綱を批判しちゃってるわけ?」と軽蔑の気持ちが大きい。
その一方で擁護ならなんでもいいかというとそうでもない。
「なんでおまえごときが大横綱を上から目線で擁護してるわけ?」ってね。
「モンゴル人差別」なんてキーワードを持ち込んだ擁護など、ホント、見たくもない。
朝日新聞、オマエのことだ。