きのう、テレ朝の『しくじり先生』が天津木村の回だったので久々にガン見した。
天津木村は好きだ。
ネタ自体も面白いと感じるし、それ以上に「いけそうな気がする~!」「あると思います!」の声の張り具合が非常に気持ちいい。
何度見聞きしても飽きない。
同じネタの繰り返しでもかまわないので見ていたい。
だから私の中の評価としては、天津木村は「一発屋」ではない。
面白いまま、なぜかテレビに出なくなった芸人という認識である。
ただ今回番組内では、それが世間一般の見方なのか番組構成上の都合なのか、エロ詩吟=下ネタという極めて限定的な扱いにされていたのがやや不満だった。
私からすると、下ネタというのはもっとエモーショナルなものというか直接的に性や排せつ行為などを扱うものであり、天津木村のエロ詩吟の大半はちゃんと、ひとひねりの利いたネタとして成立している。
ていうか、やっぱ面白いじゃん。
エジソン詩吟とかベートーベン詩吟とかもそうだけど、ふつうのトークも面白くて満足したぞ。
本人も最後のまとめでそのようなことを言っていたが、エロは飛び道具として懐に秘めて、他の本ネタで勝負できるようになればいいのだが。
漫才でやっていくのが何かとうまくいきそうに思えるが、無理なのか?
天津のコンビネタはむかーしチラっと見たかもしれないってだけで印象が残っていないのだけれども、まあ今の段階で見かけないってことは、何かしらの理由でダメなんだろうなあ。
漫才が壊滅的に面白くないのか、もはやネタができないほどにコンビ仲が悪いのか…。
続いて出てきたオリラジの中田は、今となっては見たくない芸人トップランクのひとり。
ENGEIグランドスラムで最初に『パーフェクトヒューマン』を見たときには、「こんなお笑いがあったのか」と驚愕し、畏怖さえ覚えたものだった。
もちろん吐くほど笑いもした。
だがそれはあくまでもお笑いとして見たときのこと。
武勇伝がスベってからのパーフェクトヒューマンという流れや、限られたネタの枠で無駄遣いとしか言いようがないほど贅を凝らしたことが面白かったのであって、別に歌としてどうこうって話ではない。
まあどーでもいいバンドの曲よりは耳当たりはいい、というかぶっちゃけ良曲だとも思うけれど、それでもこれを単体の楽曲としてオリラジの活動の軸とするのは私からするとちょっと違う。
「ああ、この人たちは芸人として客を笑わることが本意なのではなく、有名人になってカネを稼いだりちやほやされたいだけの人なんだなあ」と。
今回、番組内でもそれを思わせる場面があった。
同じく出演していた澤部に対し、ハライチの漫才についてダメ出し的なツッコミをしたのがそれ。
おまえがそれをいうか?
ハライチの漫才をいくら低く見積もったとしても、オリラジと同格以下ということはない。M-1決勝進出という実績だけで見てもそうだろう。
もし漫才という芸事に対して日ごろから真摯に向き合っていたならば、自分らから見て同格以上のハライチの漫才を弄るなんてあり得ない。
若林=オードリーは明らかにオリラジよりも格上だから、そうなれば破天荒のアイツ(ガッツリとコンビ名も出ていたヤツの名前も失念した…ああ、ノブコブの吉村だ)を弄るしか選択肢はないではないか。
しかし、もはや根っこがバラエティの人なんだろうなあ。
笑いに持っていくことの他易さを取って澤部を弄った。
私としてはあの場面でドン引きしたのだけど、世間の見方は違うんだろうか。
中田がバラエティの人というならば、もともとそっちのしゃべりや態度は好きではなかったので、もはやどーでもいい。
今後出演番組に当たった際にはなるべくチャンネルを替えることで対処していくことにする。