五輪も開幕早々から盛り上がっている様子で、私も多分に漏れず時間の許す限りはテレビ観戦している。
銅メダルに終わった柔道女子52キロ級の中村美里はルックスやたたずまいまで含めて北京五輪のときからのファンなので、今回も金に届かなかったのは非常に残念だった。
まあふだんの無表情の中に敗戦のくやしさを滲ませる姿も、私からすれば魅力的ではあるのだが。
五輪になると必ず「お国のため」「国を背負って」などの意識の是非が言われるのだが、私からすれば、それが選手本人の力になるのであればそういう意識を持てば良いし、プレッシャーに感じるなら無視すればいいだけのこととしか思わない。
「税金を使って出場するのだから国のためはあたりまえ」
「お国のためなんて戦時中からの悪い慣習だ」
どちらの意見も馬鹿げている。
たとえマイナー競技であっても税金を使って選手育成するだけの価値は様々にある。
戦時中とか関係なく、選手も国民であれば国を思うのは当然だ。
ただ、国を背負うという意識をきちんと持ったときには、持たない選手よりも強いと思うけどね。
開会式の入場で、小国の少数選手たちが堂々と行進するのを見ると、日本の選手団を見るときよりも胸が締め付けられるような感動を覚えるのだが、彼らはきっと国を背負っているからたとえ国力は微少であっても、当人がメダルを狙えるような強豪でなくとも胸を張ることができるのだ。
それをプレッシャーに感じるというのは、大きく国を考えてのことではなく、「国のため」と喚く周辺関係者に委縮してのことなんじゃないかなあ。
2000有余年の日本の歴史、天皇陛下のご尊顔などを頭に浮かべたとき、プレッシャーになるか?
ならないだろう。
陛下、負けたって怒りゃあしないし。
「がんばりましたね」とお声をくださるに違いなく、それを思うときにはむしろ安らかな気持ちで試合に臨めると思うのだけどねえ。
さて午後はその陛下のお言葉か。
どうなることか。