どーでもいい話ではあるが、ひとこと言っておかないことには落ち着かないので記したい。
近頃のテレビタレントは、ちょっと思い上がりが酷くないか?
きっかけはちょうど一週前の『水曜日のダウンタウン』。
この番組自体は結構好きでよく見ているのだが、そこに出演していたグラビアアイドルを巡る顛末がどうにも気に食わない。
詳細は上記事などを見てもらうとして、要は博多大吉の指示を受けたグラビアアイドルの空気を読まない発言が物議を醸し出したというのだが、何が気に入らないかといえば、これに対する他芸能人の反応なのである。
「なに、あなた、今日売れようとしてんの?」(バカリズム)
「必死なのはわかるんだけど、もうちょっと空気っていうものを……」(木下優樹菜)
「必死なのはわかるんだけど、もうちょっと空気っていうものを……」(木下優樹菜)
いやいや、視聴者からしたら(少なくとも私からすれば)、このグラビアアイドルもあなたたちも大して変わらないから。
共演者に対して上から目線で批判できる、その無自覚な高慢さが気持ち悪い。
「自分は売れっ子だから新顔よりも偉い」というのか?
そんなもの目糞鼻糞の違いでしかないわ。
別にこのグラビアアイドルを擁護する気はないし、指示されたものだとはいえその発言が間の抜けたものであったことに違いはないのだけど、なんでそれを同じ舞台に立つ出演者がジャッジするかなあ。
ただただ不愉快。
「これも話術」「芸のうち」というなら、それもまた大いなる勘違い。
ひとつも面白くないから。
こうした「一日で売れようとしている」とか「爪痕を残そうとしている」との共演者による発言は、最近の流行りなのかいろんな場面で見掛けるのだが、それは視聴者それぞれの判断することだ。
そうやって新顔を批判する側に、それだけの価値があるとはとうてい思えない。
「視聴者の気持ちを代弁している」との言い訳もありそうだが、別に代弁してもらう必要はない。
そうした批判をする連中もまた視聴者にジャッジされる対象なのだから、他に構わず自分の芸に専念すればいい。
そもそも「売れた」「売れない」という価値基準からして気に入らない。
売れているかどうかというのはあくまでも演者や作り手側の価値であり、観客にとっては関係ない。
「売れた芸能人」を見たいのではない。
おもしろい芸能人への需要が高まることが「売れた」ということであって、あくまでも本人の資質が問題なのだ。
もちろん、いわゆる「売れっ子」のほうが、他よりも資質の高いケースは多いだろう。
だがそれもやはり観客側の判断することなのである。