あれは00年のオールスター競輪だったか。あまり車券に熱心でなかった時期なので定かではないが、もしかしたら競輪グランプリだったかもしれない。

 私は車券を買うこともなくただテレビで中継を観ていただけでレース結果は覚えていないのだが、レース後の勝利者インタビューでの児玉広志の様子だけは今も記憶に残っている。
 不調時期の苦悩について、嗚咽しながら話す様子はただの感涙とは違う、何か別種の強い思念…あるいは怨念の類のものだったかもしれない。
 良くも悪くもその思い入れ、思い込みは凄まじいもののように感じられ、画面から流れるそんな児玉の言葉に、ただ絶句した。

 その児玉に、先のストーカー報道がなされたときには「さもありなん」と思ったものだった。
 報じられた内容をみると「2週間で電話14本」とか「メール3通」など、量的には大したものではなく、それでこれだけおおごとにされるなんて酷いなあとも思ったが、かつての児玉のインタビューの様子を思い返せば、あの思い入れの強さで迫られれば、女性側が恐怖心を覚えても仕方ないのかなあ、と。


 そして昨日の自殺報道だ。
 正直、これを知ったときには「ウエッ?」と変な声が出てしまった。

 この死に関しては皆いろいろな見方をするだろうが、私としては「死を以て汚名をそそぐ」という侍の切腹のようなものではなかったかと考える。

 ストーカーと見做された事実はあったのだろうが、児玉本人としては決してそんな気持ちではない。
 まっとうな求愛行為だったのだ、と。
 
 まあ他のストーカー犯に聞いても同じようなことは言いそうだし、児玉と相手の関係も深くは知らないが、児玉にとって、自分の信念を押し通すための手段はもはや死しか残されていなかったということではなかったか。

 自分の口でいくら正統性を主張しても、現行法の上では決して認められない。
だったら死を以て正統性を証明するしかないではないか、と。


 思えば新人王を奪取してS級トップとして売り出し初めていたころの児玉は、当時四国地区は目標とする先行選手に恵まれなかったこともあり、競輪選手としては小さな体でばんばん競り込んでいくような激しいレースを身上としていた。

 他地区選手には当然嫌われただろうし、自身にしても落車が増えて身体をおかしくするという不利益もあったはずだ。
 
 それでも児玉は信念を貫いた。
 周囲からどう思われようともだ。

 そんな生き様を、レースだけでなく実社会でも貫き通した。
 単純に賛美するようなものでもないだろうが、私としては「それもひとつの生き方」と尊重したい気持ちが強い。