新疆ウイグル自治区=東トルキスタンでは、中国の漢族による宗教弾圧が繰り広げられているという。

 私にはこれと、ノーベル平和賞を受賞したマララさんの発言との差が分からない。
 
 「女は勉強などせず家事をしていればいい」というのは、なるほど自由民主主義の社会においては非道な考えであろう。
 だが、長年の文化の積み重ねの中でそうした考えを持った者に対し、それを一方的に批判するのは果たして正しいことなのか。
 「イスラム過激派の主張だからダメ」という単純思考に陥ってはいまいか。
 
 
 卑近な例でいえば、「クジラを食べるな」というのはもはや世界的に主流の考え方であるが、じゃあ日本人はそれに唯々諾々と従うべきなのか。
 現実にはクジラを日常的に食す人はほとんどいないにも関わらず、これに強い反発を持つ人は多い。
 
「女性に教育の機会を与えない」というのは我々の常識からするととんでもないことに映るが、それが正しいと考える人々にとっては、そうするに値する理由がきっとあるわけで、そこの部分も考慮すべきではないか。
 イスラム世界についての知識に乏しい私などからすると、あまりにも情報が一方的過ぎるように感じられ、すんなりとマララさんのことばを受け入れられないというのが正直なところだ。

 ノーベル賞授賞式にはこれに反発する層によるテロ行為の危険も取り沙汰されているという。
 これはつまり、反発する側からすれば「テロも辞すべきでない酷いことをマララさんが言っている」ということなのだろう。
 
 反発勢力の考えの根源に何があるのかが分からない以上、マララさんが正しいとは断ずることができないというのが、いまのところの私の立場だ。
 
 テロを引き起こす危険性のある発言や行為の、どこが平和だというのだろう。
 むしろマララさんのような人間が出てこないほうが、その社会は平穏だったという可能性は一切無いのだろうか。