安倍晋三に対しては個人的に賛否それぞれあるのだが、「いいな」と思うところのひとつに「そこそこ背が高い」というのがある。
 他国首脳と並んで見劣りしないというのは結構重要なことだ。
 
 公表された数値だと安倍の身長は175㎝で、これは鳩山由紀夫の177㎝に劣り菅直人とは同等なのだが、彼ら民主党勢に高身長のイメージは安倍ほどにはない。
 
 逆に、ロシアのプーチンは安倍より背が低いけれども、だからといって小さいイメージはない。
 これは武道に裏打ちされた膂力や、強徹な精神力がかもしだす威厳が半端でないからだ。
 
 精神面でも思想面でもふらふらの根無し草……反権力のときはそれなりに一貫した思想もあったのかもしれないが、いざ自分が権力の座につくと何もできなかった、そんな威厳の薄さが鳩山や菅に「大きい」というイメージを抱かせないのだろう。
 その点で安倍は(仔細に見ればいろいろあっても他国から強硬な右派と見られるぐらいには)一徹した政治家ではある。
 
 ともかく、社会的権力者にとって体格や膂力、精神力は、単純なようでいて実は大切なポイントである。
 アメリカ大統領は高身長でなければ成れないという、一種の都市伝説もあるぐらいだもの。

 
 そして、そんなデカさ、強さに対する尊崇の念は、生物としての本能からくるものだ。
 
 そうしてみたときに、現状での女性の社会進出の難しさが理解できよう。
 生物的にみて「いざ1対1で戦えば自分が勝つ」という思いを男性側は本能的に持っている。
 それを覆して、女性が男性と同等に社会進出しようというときには、最低限でも「数多の男性をはるかに凌駕する精神力」ぐらいは持っていなければ成立しない。

 「男女の性差ではなく能力で計られるべき」なんていうのは単なるきれいごとで、それを言うときには、誰もが納得できるだけの能力値を計る基準がないことには多くの賛同は得られない。

 女性が男性と同等以上の社会進出を目論むならば、一般的な男性を凌駕するだけの膂力か体格か精神力を持つこと。
 それが無理なら、新たに数値化できるような仕事にまつわる基準を作り出すこと。
 
 「女性の輝く社会」なんていう中身のないお題目では決して生物の本能に根差す慣習を変えることはできない。