賢くなるには、どこか心の奥底に深い深い闇を抱えていないとなれないらしい。
尊敬する女性が言った
「アンタは一を見て十を知れる子。ならば、今から百でも千でも目指せるよ。でもね、少し感度が高すぎるんだ。心の片目を瞑ってごらん。何でわかるかって?私がそうだからさ」
その女性は私にいくつもの大切な言葉を残して、58歳の若さで逝ってしまった。
その方の分まで生きてやる!と思っている人物の一人。
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先日、家族で大喧嘩をした。私が発端。。。
父が叫んだ
「俺が苦労してるのも知らないで!」と
私も叫んだ
「だったら私の過去を塗り替えてよ!」と
父は黙ってしまった。私は心の中で「まるで悲劇のヒロインじゃないか」と心臓を掴んだ。
人の苦労や悲しみ、痛みや苦しみ、たとえ家族であろうと伴侶であろうとわかりゃしない。
わからないのが普通。でも家族だからこそ乗り越えられるし、「わからない」ものを「わかりあえる」んだ。
これが他人だったら尚更わからない。
わからないのが普通。でも他人だからこそ、片目を瞑る事が出来るんだ。
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もう一度抱きしめれば良かった。
もう一度あの手を握れば良かった。
あの時の輝きをもう一度…。
あの時の成功をもう一度…。
そんないくつもの欲望が渦巻いて、私の体へ痛みとなって突き刺さる。
私はその痛みを吐き出す術が、絵を描く事と笑う事としかわからない。
だから描き続ける。
だから笑い続ける。
情けないかな、あの人が「それしかないのなら描き続けてみろ」と間接的に言ったのと、
心許した他人の中で「笑顔が可愛い」と言ってくれた淡い思い出だから。
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人はその細い肩に何かしらの重荷をギリリと食い込ませ生きている。
それは他人には見えないし、また見ようとしないだろう。
「そんなことない?」 おっと綺麗事なんていらないのさ、何故なら自分もそうだから。
自分の重荷だけで精一杯なのに、他人の重荷まで背負えやしないからね。
私は感度のアンテナが高すぎてすぐにそのアンテナが折れちまう。
だから色々と逃げと防御を現在取得しようとしている所。
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文章が散らばってしまったけれど、これが今現在私の心の中の風でぐるぐると渦巻いている事。
風に乗って開放されるか
それとも深奥の闇の飲み込まれるか─。
それはきっと私しだい。