「 Lebka konjugát  」 | マンタムのブログ

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この世にタダ一つしかないカタチを作ろうとしているのですが出来てしまえば異形なものになってしまうようです。 人の顔と名前が覚えられないという奇病に冒されています。一度会ったくらいでは覚えられないので名札推奨なのでございます。

名古屋Sipkaでの個展 「記憶の残骸を照らす為の月」が無事に始まりました。
今回は私の原点に在るシュールレアリスムとの邂逅となるよう造り上げているつもりです。
2月5日より3月16日迄 まだ正確には未定ですが3月6日にトークショーも開催する予定です。

基本的には平日になりそうですが東京から会場迄のツアーも考えています。

流星号で朝 小田急線相模大野駅もしくは橋本駅で集合してそのまま名古屋の個展会場を目指しその日の夜名古屋を出て早朝相模大野に戻ると言うツアーです。

気になる方はメッセージ等お願いします!


「 Lebka konjugát  」





今回の名古屋Sipkaでの展示作品の一つです。
今回の作品の多くはやはり物語を内包していてそれが作られた順番に全体の世界を構成して行くパズルのようになっています。

まだ全部が公開されているわけではなくそれは今回の会期中に徐々にひもとかれて行くのです。

「 Lebka konjugát  」

その豚は産まれた時に既に自我を持つ程非常に高い知能を有していた。
母親から乳離れする頃には人語を理解しており同時に畜産農家で産まれた自分の未来がどういうものになるのかも理解出来ていた。

その現実は彼を常に絶望的な気分に追い込んだ。

いくら高い知能が在ると言ってもそれだけで容易に回避出来る未来ではなかったからだ。

自分の周りの人間に知能の高さを証明出来たとしても一時期は珍しがられ延命出来るかもしれない、だが結果としてその高い知能の秘密を探るために身体も脳も切り刻まれてしまうことだろう。

それでもどうしても生きていたかった。

生きてなにかをなしたいわけではない。

ただあまりにも絶望的な運命にたいしせめて本来在るべき彼の時間を生きていたかったのだ。

そもそもあまりにも高い知能をもった彼にとって仲間の豚は全く別種の生物であり彼は始めから孤立していたのだ。

だから仲間達に愛情も同情心も持てなかったし彼らの運命等彼にはどうでも良いことだった。

彼らはその事実を一切認識出来ず与えられた餌を食べる事だけにしか興味が無いくだらない生き物でしかなかったからだ。

だが 家畜小屋の隅に放置されていたとても大きな鏡に映る自分の姿は自分が見下している仲間達と寸分違わぬ姿でありそのことがより彼を絶望的な気分に追い込んだ。

それでもこの家畜小屋には他に見るべきもの等無くやがて彼はその鏡の前で過ごす時間が増えていったのだ。

彼に残された時間は半年程であってそのときになれば仲間と一緒に屠殺場に送られ棍棒で気絶させられた後逆さに吊るされて頸動脈を一気に切断され出血死させられるのだ。

血が抜けると首と手足を切断され皮を剥がされ背骨のところから両断されただの肉塊と化す。

それに至るのには30分もかからないだろう。

だが

そのどの時点で命が潰えるのだろう?

それを何処迄認識しているのだろう?

血を抜かれたからと言って直ぐに意識が消え去るわけではない。

首を切断されてもまだ意識があるかもしれない。

脳に送られる血液が途絶えたからといって直ぐに死ねるわけではないのだ。

自分の手足が切断され皮を剥がれ背骨を切断されて行く絶望的な光景を延々と眺めなくてはいけないのかもしれないのだ。

それは堪らなく辛い事だった。

それもあってか 彼は時間の許す限り鏡の前で自身を凝視するようになっていた。

まるで脳裏に自分の生きている姿を焼き付けるかのように。

だが

彼が屠殺場に送られる3週間程前に奇跡が起こった。

彼は鏡の中に入れるようになっていたのだ。

そうやって彼は幽霊のような存在になった。

餌を食べると鏡の中に入ってしまうので人には補足出来ないのだ。

でも 鏡の中を覗けばそこに彼の姿があるのだが誰もそんなことは思いつきさえしなかったのだ。

彼は鏡のなかで安全に成長し続けていた。

しかし家畜小屋では居る筈のない豚が餌を食べているところが何度も目撃されるのでやがて近所の少年を雇って監視までさせていたが豚は用心深く彼が居眠りする僅かな間に出て来て餌を食べ鏡に戻ってしまうので結局なにもわからないままだった。

豚を出し入れするゲートの鍵は頑丈で開けづらいものにかえられ塀も鉄柵に変えられたがそれでもその幽霊のような豚は現れ餌を食べるとこつ然と消えてしまったのだ。

気味が悪くなった家畜小屋の主人は色々な学者や研究者に相談を持ちかけたが誰も明快な回答を出せないので知人のつてを頼って古代の魔術や錬金術を研究しているという乞食のような老人に問題の解決を依頼した。

老人は家畜小屋を念入りに調べると銀の弾丸を込めた古めかしい古式銃と大きな鏡をもって満月の夜に再び現れた。

家畜小屋の従業者達に手伝ってもらい大きな鏡を元々あった鏡の前に向かい合わせて平行におくとそこに無限の光の回廊が出現した。

すると老人はその鏡と鏡の間に特にその豚が好んで食べるという餌をおいた。

人々が隠れて見守る中真円の月が真上に昇ると辺りはほの青い光に照らされ鏡の奥から豚が餌を食べに現れた。

だが 直ぐに古式銃を構えかくれている老人に気づいてそのまま老人が置いた正面の鏡の中に逃げ込もうとしたのだ。

ドンという大きな音がして豚が逃げ込もうとした鏡が粉々に砕け散った。

細かく砕けたガラス片のなかで それは実に奇妙な光景だったが 2匹の豚が頭が繋がった状態で悲鳴を上げもだえ苦しんでいたのだ。

だが暫くすると奇妙な豚はだんだん動かなくなりそのまま死んでしまった。

老人は問われるがままに結果を説明し始めたがそれは理解しがたい話だった。

この豚が人に勝る知性を有していた可能性が高い事。

その知性によってか それとも本来あり得ない知性を授かったのと同じように自身を光のようなものに変える能力を持っていてその力で鏡の中に隠れていた事。

それをおびき出して慣れない違う鏡に逃げ込ませ一瞬豚が躊躇したその隙に鏡を割って豚を捕らえたのだが現実に在る身体と鏡に映り反射している身体が鏡を銀の弾丸で割ってしまった事で実体化しこのような奇妙な姿になった事等。

どれもこれも信じがたい話であり家畜小屋の人達は魔物と恐れそのままその奇妙な豚を焼き捨てようとしたが老人は首だけを切り離し研究用にと持ち帰った。

結局彼への報酬はそれだけですんだようだ。

それから戦争がありその家畜小屋も空襲で焼けてなくなり跡地は映画館等と言う新しい歓楽施設になっていた。

人々がまだ目新しい映画という娯楽に熱狂していた頃その奇妙な頭が繋がった豚の頭骨で作られたランプが町外れの骨董屋の店先に並んでいたそうだ。

それをかつて家畜小屋従で見張りをしていたという男が見つけて購入したのだがそれはそう高価なものではなかったということだ。