四国第二十二番平等寺 四国第二十三番薬王寺
(百円ショップで買ったカッパは
重宝しています)
四国第二十四番最御崎寺 四国第二十五番宝珠山津照寺
四国第二十六番龍頭山 四国第二十七番霊場神峯寺
光明院 金剛頂寺
四国第二十八番法界山大日寺
この日は三泊四日のツアーの人たちとの別れの日でもありました。
まだ、同じツアーの人たちの顔も良く分からないうちの別れでした。
また、この日は七寺ということもあって、時間にもゆとりがあり、ゆっくり参拝も写真も撮れました。
そして別れの場所に来た時、同じ相部屋で取り仕切っていた女性は私のほうに涙を浮かべながら、「別れたくない」と両手を広げて抱きついてきました。私も両手を広げながらその女性と抱き合い別れを惜しみました。
みんな感極まって私たちを見ていました。
その女性は、十四日間のツアーをやろうと思えばできたのに、思い切りができなかったことをすごく後悔していました。
また、顔もよくわからない別れの人たちも、なぜ思い切れなかったのかという事を口に出して後悔していた人も結構いました。
なぜなら、二泊三日、三泊四日、四泊五日、そして十三泊十四日の日程の募集だったので、みんなラストの十三泊十四日のツアーにすれば良かったと思いきれなかった事を後悔していました。
三泊四日の人たちが迎えのバスにのるまで、何回も何回も別れを惜しみながら、後ろを振り返りながら、手を振り続けていました。
私たちも別れがつらく、バスが見えなくなるまで、みんなで見送り続けました。
それから昼食をとり、1時間弱の観光の時間があり、まわりを観光することができました。
この時、よく写真で見る坂本竜馬の銅像を見てびっくりしました。
海を見渡す坂本竜馬の写真を何回かみたことがありますが、ごく普通の銅像だと思っていたら、あまりの大きさと迫力に圧倒されてしまいました。
竜馬の銅像の前には、次から次へと色んな団体・ツアーの人たちでいっぱいでした。
皆さん私と同様に、こんなに大きいとは思っていなかったので、驚きと竜馬の海を見渡すりりしい姿に感動していました。
その時、私も他の方々も口にしていましたが、「竜馬は広い海を見渡しながら、ここで国のことを考えていたのかしら」と口ぐちに言っている人たちが結構いました。
この日のホテルは、お風呂も食事もサービスもまたまた最高で良かったです。
挿話
チトラの回想録(お祭り編)
なんでこれを書く気になったかというと、地元のお祭りが二日後にあり、ふと面白いお祭りの出来事と最初に私が宮出しをした時を思い出し、書いてみようかなと思って書きました。
私がまだ中学へ行っている頃、私の町には神社が北と南に二つあるのですが、私の住む北の神輿が南の人たちに持って行かれ、誰も奪い返すことができず、街の人も見物人もそんな様子を何か起きることを期待して、みんな面白がって見ていたことがありました。
当時お神輿を持って行かれた事の顛末は、南はヤクザ(遊び人)ものがいたので、その人たちが「(神輿を)取りに来れるものなら取りに来い」と挑発していたのですが、北は誰もが沈黙をまもっていた(当時北はみんなお坊ちゃん育ちだったので)。
そんな北と南のやり取りを地元の人も見物客も楽しんでいた。
そんな中、北は挑発にえへらえへらしかできなかったので照れ笑いをし、それを地元の人間や見物客は酒の肴にし楽しんでいた。
神輿は当日だいぶ時間がたってから、返してもらった。
※この当時は、まだまだ戦後間もなかった頃なので、みんな血気盛んで自分も地元の人たちも見物人も「ケンカは祭りの華。ケンカになれば血の雨が降ることを、喜びを噛み殺しワクワク期待していた。」が、期待とは裏腹にあっさり返されて拍子抜けだった。
そして、私が十七歳の頃の宮出しの話です。
代々土地柄この土地では、女性の宮出しはなかったそうですが、私たちの代が初めての女性での宮出しだと聞いた。
この宮出しで、私は半纏(はんてん)がなく、漁師まちの人から母の元に半纏が届けられ、宮出しの作法を教えられた。
作法とは、
①半纏の下は当時はさらしと膝丈のパッチ(またひき)
②白足袋
これを絶対に守って宮出しをやるようにと半纏を貸してくれた漁師まちの人に母は強く言われたと私に言い聞かせ、守らせた。
※祭り一式(衣類)を持っていなかったので、適当に担ごうと思っていたのですが、「女が祭りの宮出しをする」ということが一気に広まってしまい、漁師まちの人たちがあわてて、半纏一式を持ってきてくれた。
そして、私(私は当時、中学高校とエスカレーター制の女学校に通っていたのですが、ケンカに明け暮れていたので中学卒業後は学校に断られた為、高校へは入れてもらえませんでした。)はこの時、女学校の同級生数人に宮出しをしないかと声をかけ、同級生とともに宮出しをしました。
その当時、その時の儀式は、神主さんと宮出しの担ぎ手と盃を交わし、その盃を全員で地面に叩きつけ叩き割り、この瞬間から殺気立ち、神輿に向かってわーっと向かっていって担ぎ、一気に急な勾配(こうばい)の階段を駆け下り、ワッショイワッショイと町を担ぎまわした。
この時の宮出しの話が、今現在も酒の肴として、一部の南の町の人たちの間で違う話にすり替わり笑い話として「チトラは半纏の下は白の水着で宮出しをやった」と祭りになるといまだに笑い話になっている。
※恐らく南の方たちは、「ヤンチャが過ぎるチトラなら水着も辞さないだろう」と勝手なチトラ像で盛り上がってくれたんだなーと思い、そんなみんなを想像するたびに思わず吹き出してしまいます。



























