2年前私は一時だけわずらわしい全ての状況から、やっと開放され、自分の事を考えられるようになった時、まだパソコンをやっていなかったので、娘とも仲が良かった。
そんな時、娘が四国八十八ケ所の話しを私にしてきた。
私もいつかは挨拶に行かなければと、漠然と思っていました。
娘ははっきりしない私を尻目に、私の身体の状況を考えながら、身体に負担のかからないツアーを探し始めていました。
そんな娘を見ながら、「今行くべきか、仕事を先に見つけてから行くべきか」か迷っていました。
今までの人生を考えてみると、この先何をするにしても、まずは四国八十八ケ所へ挨拶してからだなあと決心がつきました。
私の人生は、自分の墓を三回建てました。そして、あの世とこの世と人間の名を持っています。勝負勝負に明け暮れ、事業拡大のため、道を切り開きながら、人を数え切れないほど切ってきました。
また、修羅場を何回も重ねながら、命も狙われてきました。
そして、絶対絶命まで追い込まれ、今日やられるかわからないという時に、急ぎ身辺整理をしました。
それは、今まで私が勉強して実践してきた神道、仏教の本、それから作らせた経本、また、身に付けてきた町の仏具屋で売っている、経本、数珠(これは全て神社の神主さんに「お心」を入れてもらったものです。経本も数珠も全ての道に通じるものを買いました)、これを家に残す事ができず、行者に始末させた。
後で、行者からある有名な寺に行った事を聞かされた。
そして、数人の人と、今までに世話になった最後の挨拶を交わした。
その帰りに、私は自分の墓のある寺に行き、住職と話し合いました。
私は最初に住職に、訳は一切話せないが、これから私の言う事だけに答えて欲しい。私はいつどういう死に方をするかわからないので、今、葬式をあげてほしい。そして、私の骨は、寺で四十九日預かって納骨までやってほしい。
そして、死体の始末をどうすればいいか聞くと、住職はそういう状況じゃ俺が行ってやりたくても、間に合わないだろう。死体のままで行っては駄目だ。必ず棺おけに入れて火葬場に行き、姿はそのままの姿でいいからと言った。(やられたままの姿でいいからと住職が言ってくれた。それは住職が想像する限り、あらゆる死に方を想定されていたと思います)
火葬場には、国で雇われている坊さんがいるので、必ず「やきやき」する前に、坊さんにお経をあげてもらってから「やきやき」するようにと言われ、坊さんの値段は当時で1万~2万と住職から聞いた。
そして葬式の支度をこれからするから、1時間くらいたったら又来るようにと言われ、私はいったん家に帰り、住職から言われた花を持って、自分の死に装束として、白のパンツスーツで寺に行くと、住職は二人であげるのを哀れに思ったのか、副住職をともなって、三人で私の葬式をあげましたが、私は途中で、あまりの無念さで、思わず熱い涙がはらはらと流れていました。
葬式が終わり、子供達が何があっても迷わないように、全て寺と話がつき、帰るとき、私は寺から家まで、無事に帰れるとは思っていませんでしたが、不思議な事に、寺の門を一歩出たとたんに、すさまじかった殺気がみるみるうちに、目と気持ちで分かるように、さっと引いていった時、私は思わず「助かった」と声に出してしまいました。
その後、しばらくは無事でした。
でも、私の身には何がいつ起きるか分からないので、私は子供達が将来困らないように、色々と策を練り、段取りを付けていた時、今度は精神的に追い詰められ倒れてしまい、病院に行くと、その場で入院だと言われたが、私が倒れた事が分かると融資を受ける事が出来ないので、子供達には絶対に入院した事は誰にも言うなと言って、私は私がいなくても子供達がやっていけるように、仕事を教えるのに一週間するのを何とか精神力を振り絞って使って、一週間で子供達に仕事を教え、一ヶ月の入院をした。(この時に胃潰瘍3個あると診断を受けた)
そして、人生をあきらめました。
もうここまでくれば、私に何があっても子供たちは出来るだろうと思ったとき、私がここまで生きてこれたのは、心ある世間様、社会の人達の陰の力があったからだと感謝の気持ちが湧いた時、私は今まで感じた事のない、晴れやかな気持ちになり、世間様、社会の方々への最後の感謝の別れの挨拶を地元の祭りの宮だしでやりました。
私はその時の姿は、白のダボ上下に、腹には朱の腹帯を結びたらし、背中に家紋を入れた黒の半纏を着、白足袋を履き、赤い鼻緒の雪駄を履き、顔は金縁のマッカーサー・サングラスをつけ、神輿とともに神社の階段をおりながら、神様、仏様、先祖代々、世間様、社会の方々に今日まで生きてこられた事を感謝しながら、おりました。
そして、私は思いもよらない知恵と度胸を授かり、前代未聞の大勝負をして、早期解決する事ができました。
私が数珠と経本を身につけるようになったのは、S社とK社の本を読んで、S社に勤めてからです。
そして、身につける経本と数珠は、全て神社に持っていき、神主さんに「お心」を入れてもらいました。
これは、近所の商店街の仏具屋で買いました。
でも、すさまじい状況、人を陥れる陰謀、修羅場の中で道を切り開いていく中で、数珠はまるで私の命の代わりのようにぐにゃぐにゃになり、糸がぼろぼろになって切れてしまったり、また、時には胸のポケットから出した途端に、数珠が宙に飛び散ったりして、そのたびに、新しく数珠を買って神社に持っていき、神主さんに「お心」を入れてもらい、前のやつはお焚きあげしてもらった。
その数珠の数は全部で十一回取り替えた。
そして、経本は、数珠ほどではないが、擦り切れて何冊か取替え、前の経本はお炊きあげしてもらった。
こういった人生を送ってきて、今日まで生きてこれた感謝の気持ちの挨拶と、人生最後の仕事を何にするか考えてみる四国八十八ケ所巡りでした。
この四国八十八ケ所の写真入りブログが終わったら、チトラの回想録を続けますので、どうぞ呆れずに宜しくお願いいたします。
今後、週二回体調を見て、更新していけたらと思います。
皆様どうぞよろしくお願い致します。
挿話1
私が当時の時世でも今の時世でもそうだとは思いますが、前代未聞の経本製作を母の古くからの友人に依頼しました。その経本とは、紙から作ってくれと言ったが、それが出来ず何にも書いていない経本をわざわざ作ってもらい、前代未聞の経本を書いてもらった。この時、この方から仏具屋からこのご時世にこれをあんたに頼んだのは誰だ?と徹底的に聞かれたが、私の立場を考えて明かさなかったということを私に言った。だから、絶対にこの事は喋っては駄目だと念を押された。理由は、喋ったら立場上大変な事になるんじゃないかという配慮からだった。
①紙探しから始まり
②何も書いていない経本を作り
③母の古くからの友人に私が入れて欲しいお経を書いてもらった
④仏具屋の方に、母の古くからの友人は鬼気迫るように「あんたこれを本当に書けるのか?間違えたら大変な事になるぞ」と念押しされ、緊張しながら書いたが途中で何かがあって怖くなり断ってきた。「怖くて書けない。勘弁してくれ」と言ってきたが、なだめて食い下がり、必死でうまく言いくるめて書かせた。
⑤で、経本が出来た。その後、身辺整理した時に、全ての処分をある行者に一括依頼した際に、有名な寺院に行ったと行者から聞かされた。
⑥後に、この経本を預けた僧侶が大変な出世をしたと行者から聞いた。大変喜んでいたと聞かされた。
⑦この経本を作って、母の古くからの友人はあっという間に亡くなりました。
挿話2
私の葬式をあげた住職も私の葬式(生前葬)をあげてまもなく亡くなりました。