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◆ 母の肺の腺がん ◆ 大きさステージⅣa 転移ステージⅡ 1010年9月28日判ったです ◆
肺の腺がん2020年9月16日に確定、2020年10月19日から初めての抗がん剤治療入院~翌月11月5日17時19分天国へ★あまりに急変で、置いて逝かれちゃった

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一日目は、写真もスムーズに誰にでも頼めた。

二日目は、十ヶ所の寺をまわるハードスケジュールだったので、もたもたしていると写真をとれなくなりそうになったり、まだ同じツアーの人たちの顔も良く分からないので、他の団体に付いて行きそうになったり、迷子になったりしかねませんでした。


私が参加したツアーの構成は、二泊三日、三泊四日、四泊五日の人たちが合流したり、入れ替わったりするので、相部屋だった人とか、バスの前や後ろ横の人の顔しか分かりませんでした。

誰もがこの混乱の中で、唯一分かっていたことは、

①先達(辞書参照※その道ですぐれた先輩※案内をする人)

②乗務員

③バスの運転手

この3人の方だけでした。


このツアーの参加者は四国八十八ヶ所巡りの参加は全員がはじめてでした。この人達は、全員が旅行慣れしている人達でした。


先達さんは五十人から引き連れていかなくてはならないので、絶えず人数を確認したりして大変なので、写真を撮ってもらうことは頼めません。


バスの乗務員は、納経(朱印)をいち早くしなければならず、そこで他のツアーの乗務員と一刻を争う競争で(バスの乗務員同士の競争は熾烈をきわめるものでした)、バスを降りると、一目散に寺に行くので、こちらも写真を撮ってもらうことは頼めません。


各お寺での参拝時間は、三十分程度なので、その間に写真を撮らなくてはならず、他のツアーの団体の方々も慌しくなり、段々と人に頼める状況じゃなくなってきます。


(初日のホテルと、今回のホテルを間違えました。)

十四日間のホテル、旅館、宿坊は全部よかったが、その中でも二日目三日目は同じホテルで、このホテルは群を抜いて一番良かった。他の団体客も全員が興奮して大絶賛でした。超最高でした。



エピソード1:

他の団体の方々が写真を撮りながら、「お寺さんで撮るこういった写真は段々分からなくなってくる。みんな門が同じようだし、同じようなポーズで撮るから、何がなんだかわかんなくなって、撮って帰っても1回見たらもう見ない」と言っていて、私もその通りだと思いました。だから、写真を撮るときは、工夫して同じポーズにならないように、何回見ても飽きないで見られるように、ポーズを考えて撮りました。



四国八十八ヶ所巡り十三番から二十一番のブログは、日曜日に更新しますので、よろしくおねがいいたします。



※5月8日、9日。滞在ホテル

ホテルクレメント徳島


※徒歩10~15分またはクリーニングサービス

有料



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四国第一番霊山寺

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四国霊場第二番極楽寺



娘は色々な四国八十八ヶ所のツアーを調べ、私の身体に負担のかからない飛行機とバスとタクシー、ケーブルカーのついた大手ツアー会社を選んだ。

それは「14日間、交通費込み、ホテル・旅館・宿坊での朝昼夜の3食付、相部屋で一番安い25万円前後のツアー」で契約までを全て娘がしてくれた。(パソコンを教えてもらうまでは仲が良かった。)


(※一番最初に四国の区役所で開催している「ツアー八十八ヶ所巡り」に応募しましたが、タッチの差で締め切られてしまい、次回開催は未定との事で、他の民間企業のツアー会社を利用してくれと言われ探しました。)


それから間もなくして、日程表とパンフレットが届いた。


初めての事だらけで何も分からないので、亡き母に作ってもらった縁をもとにしたお付き合いをしている寺の住職に、何が必要なのかパンフレットと日程表を持って見てもらいに行った。(この住職には、私が高野山に用があって行かなくちゃならない時に、行き方が分からないので、行き方と宿坊を紹介してもらい2日間泊まった。この時、娘と姪を連れて行っている。この住職は、何回か八十八ヶ所巡りに行っている。)

住職に、巡拝用品の紙を見せて、何が必要なのか選んでもらった。


まず、

①納経帳は住職が持っていたので、それを貰った

②数珠は、自分の家にあるものなら何でも良いと言われた

③経本も自分の家にあるもので良いと言われた

④輪袈裟は、ツアー会社のセットに付いていた

⑤パンフレットから申し込んだのは、白衣(白装束ではない)と、輪袈裟、金剛杖と金剛杖カバーで、これは当日、伊丹空港に着いて、すぐにもらって着替えるように言われた(金剛杖カバーはビジュアル的なものなので、必要でない方はいらないと思います)

⑥お札はパンフレットと一緒に入っており、八十八ヶ所巡りの前に自分の住所と氏名を記入するよう書かれていた。お願いごとも記入しても可だった。このお札は、八十八ヶ所に一枚づつ奉納するお札です。このお札は私は足りなかったので、途中で買い足しました。

⑦空港でろうそくと線香とライターを買う。ライターは火をつけるので、削らずに必ず持参、あるいは購入してください。

⑧住職からのアドバイスで、100円ショップに行って、カッパを3枚買って持って行くようにと言われ、買いに行きました。カッパは重宝しました。折りたたみ傘も持って行きましたが、カッパのほうが参拝は重宝します。私は一枚余りました。

⑨住職からのアドバイスで、巡礼用バッグは買う必要は無く、普段使っている大き目のショルダーバッグかポーチを一つ用意し、そこにろうそくやライターを全て入れれば入るので、新しく買う必要は無いと言われ、そのようにした。実際に自分で使っているバッグの方が、スムーズにろうそくなども取り出せるので、ストレスもたまらなかった。

⑩小銭は、十円は千円分持っていきましたが、少し足りませんでした。

⑪下着や衣類は、一週間分持って行きましたが、有料コインランドリーや無料コインランドリーがあるので、半分くらいしか使いませんでした。

⑫靴はスニーカーの方が楽に参拝できると思います

⑬ツアー参加者は60人前後位で、年配の方がやはり多かったです。夫婦の方は、2~3組でした。後は、女性同士の参加も多少あり、一番多かったのが一人参加です。時々、若い方も一人で参加されていました。(この若い参加者の話しは後に触れていきます)

※ツアー概要

・納経(朱印)

Ⅰ.納経は添乗員ないし乗務員が責任を持って代行いたします。お客様は参拝に専念していただけます。

Ⅱ.納経は基本的にお一人様各1点までとなります。(帳面・白衣・軸)

Ⅲ.納経は希望者のみとなっております。納経代はお客様負担となります。(現地にて集金致します)

@各1寺に付き 帳面1冊300円  白衣1枚200円  軸1本500円

@帳面・軸は1点に各お寺院の御影(おすがた)を頂くことができます。

@御影とは各寺院のご本尊様の写しを表したお札です。

※タバコを吸う所も寺によってはあります。バスの乗務員に聞けば、簡単に教えてもらえます。

※お接待

行った先々の各お寺やお土産屋さんで頂く事もあれば、バスの中でおのおの持ち寄る事もありました。私も一度芋けんぴをお接待で出しました。千円でした。もう少し買おうとしたんですが、ツアーの人に一袋でいいよと言われました。金額などもお接待には持ち寄る事があるので、あたりさわりの無い金額を目安にされたほうが旅はスムーズかもしれません。



娘から、四国八十八ヶ所の写真を全て撮ってきて欲しいと言われたが、私は断った。「冗談じゃない、お参りということは遊びじゃない、写真なんか撮っている暇はない」と怒ったが、娘は頑として言う事を聞かないので、私は娘になんで写真が欲しいのかと聞くと、娘は、「姉弟は私と弟だけで、この先、お母さんが死んだ時、私達姉弟の共通の話題が何も無い。だけど、八十八ヶ所の写真があれば、弟と会ったときに、八十八ヶ所の写真を通して、いつまでも弟と楽しく色んな会話を楽しめ、仲良くやっていける、そういったものがないと、私達姉弟は、遠く離れ離れになって、お互いに寂しいという事で、写真を撮ることになりましたが、娘は、弟家族と一緒に撮った私達5人の写真を持っていくようにと弟達の前で言った。(命令された。親をなんだと思っているんだろう)


娘が言うには、この写真を持って行く事によって、八十八ヶ所で母と一緒に写ることにより、私達も全員が参加した事になるではないかと言った。(生意気だと思った。でも、後で写真を撮ったことは、本当に大変だったけど、良かったと思っています。)

カメラは近所の商店街の写真屋さんで使い捨てカメラを4個買って行った。


出発の朝、私はいつもお参りしている神社仏閣に挨拶して、娘と羽田空港に行った。荷物は全部娘が持ってくれ、送ってくれた。娘いわく、帰りの荷物は宅配便で送れといわれたので、全ての日程が終わった高野山から送った。帰りは手ぶらで帰ってきた。この時に、娘には犬猫の世話と、娘のご飯として財布を一つ預けた。


家をこれほど空けるのは、入院以外では初めての事なので、

多少の心配はあったが、行って見るとあっという間に過ぎてしまった。それほど、私にとっては八十八ヶ所は水を得た魚のようでした。一期一会を楽しみきりました。


羽田空港出発が11時半で、伊丹空港に12時35分に着き、四国第一番霊山寺から四国霊場第二番極楽寺を打った(打ったとはお参りのことをさします)


ツアーでお参りするのは、初めてでだいぶまごまごした。が、一番、二番ですぐ慣れた。


そして、ホテルに到着し、そこで初めて部屋割りを発表され、私は六人部屋でした。このメンバーは、全てが旅行慣れしていて、取り仕切った女性が、とても良い女性だったので、みんな女学生に戻って、和気あいあい、きゃあきゃあでとても楽しかった。このホテルは、八十八ヶ所の中でも、全ての面において、超ナンバー1でした。

普通は一人や二人は必ずけちをつける人が出るけど、このホテルに関して私達以外のツアーのお客様も大絶賛でした。

お風呂も最高に良く、ホテルのイベントの阿波踊りも全てのお客様が参加して、我を忘れて踊りまくり、最高の初日の夜を過ごした。

朝食の時は、ここのホテルを絶賛する人たちで、あっちもこっちもあふれかえっていた。




続きはまた後日、更新していきます。



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チトラの描いた、似顔絵ですヾ(@^(∞)^@)ノ


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チトラが恐いので

時間はだいたい守ります。



ぶたうさぎの描いた、似顔絵ですヾ(@^(∞)^@)ノ

ちょっと?アサギみたいになっちゃったです


ざわ・・・ざわざわ・・・


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たんこぶが描いた、似顔絵ですヾ(@^(∞)^@)ノ


チトラの言う事には

たんこぶの絵が、一番それぞれに似ているとのことです♪

2年前私は一時だけわずらわしい全ての状況から、やっと開放され、自分の事を考えられるようになった時、まだパソコンをやっていなかったので、娘とも仲が良かった。

そんな時、娘が四国八十八ケ所の話しを私にしてきた。

私もいつかは挨拶に行かなければと、漠然と思っていました。

娘ははっきりしない私を尻目に、私の身体の状況を考えながら、身体に負担のかからないツアーを探し始めていました。

そんな娘を見ながら、「今行くべきか、仕事を先に見つけてから行くべきか」か迷っていました。

今までの人生を考えてみると、この先何をするにしても、まずは四国八十八ケ所へ挨拶してからだなあと決心がつきました。


私の人生は、自分の墓を三回建てました。そして、あの世とこの世と人間の名を持っています。勝負勝負に明け暮れ、事業拡大のため、道を切り開きながら、人を数え切れないほど切ってきました。

また、修羅場を何回も重ねながら、命も狙われてきました。


そして、絶対絶命まで追い込まれ、今日やられるかわからないという時に、急ぎ身辺整理をしました。

それは、今まで私が勉強して実践してきた神道、仏教の本、それから作らせた経本、また、身に付けてきた町の仏具屋で売っている、経本、数珠(これは全て神社の神主さんに「お心」を入れてもらったものです。経本も数珠も全ての道に通じるものを買いました)、これを家に残す事ができず、行者に始末させた。

後で、行者からある有名な寺に行った事を聞かされた。

そして、数人の人と、今までに世話になった最後の挨拶を交わした。

その帰りに、私は自分の墓のある寺に行き、住職と話し合いました。

私は最初に住職に、訳は一切話せないが、これから私の言う事だけに答えて欲しい。私はいつどういう死に方をするかわからないので、今、葬式をあげてほしい。そして、私の骨は、寺で四十九日預かって納骨までやってほしい。


そして、死体の始末をどうすればいいか聞くと、住職はそういう状況じゃ俺が行ってやりたくても、間に合わないだろう。死体のままで行っては駄目だ。必ず棺おけに入れて火葬場に行き、姿はそのままの姿でいいからと言った。(やられたままの姿でいいからと住職が言ってくれた。それは住職が想像する限り、あらゆる死に方を想定されていたと思います)


火葬場には、国で雇われている坊さんがいるので、必ず「やきやき」する前に、坊さんにお経をあげてもらってから「やきやき」するようにと言われ、坊さんの値段は当時で1万~2万と住職から聞いた。


そして葬式の支度をこれからするから、1時間くらいたったら又来るようにと言われ、私はいったん家に帰り、住職から言われた花を持って、自分の死に装束として、白のパンツスーツで寺に行くと、住職は二人であげるのを哀れに思ったのか、副住職をともなって、三人で私の葬式をあげましたが、私は途中で、あまりの無念さで、思わず熱い涙がはらはらと流れていました。

葬式が終わり、子供達が何があっても迷わないように、全て寺と話がつき、帰るとき、私は寺から家まで、無事に帰れるとは思っていませんでしたが、不思議な事に、寺の門を一歩出たとたんに、すさまじかった殺気がみるみるうちに、目と気持ちで分かるように、さっと引いていった時、私は思わず「助かった」と声に出してしまいました。


その後、しばらくは無事でした。

でも、私の身には何がいつ起きるか分からないので、私は子供達が将来困らないように、色々と策を練り、段取りを付けていた時、今度は精神的に追い詰められ倒れてしまい、病院に行くと、その場で入院だと言われたが、私が倒れた事が分かると融資を受ける事が出来ないので、子供達には絶対に入院した事は誰にも言うなと言って、私は私がいなくても子供達がやっていけるように、仕事を教えるのに一週間するのを何とか精神力を振り絞って使って、一週間で子供達に仕事を教え、一ヶ月の入院をした。(この時に胃潰瘍3個あると診断を受けた)
そして、人生をあきらめました。


もうここまでくれば、私に何があっても子供たちは出来るだろうと思ったとき、私がここまで生きてこれたのは、心ある世間様、社会の人達の陰の力があったからだと感謝の気持ちが湧いた時、私は今まで感じた事のない、晴れやかな気持ちになり、世間様、社会の方々への最後の感謝の別れの挨拶を地元の祭りの宮だしでやりました。

私はその時の姿は、白のダボ上下に、腹には朱の腹帯を結びたらし、背中に家紋を入れた黒の半纏を着、白足袋を履き、赤い鼻緒の雪駄を履き、顔は金縁のマッカーサー・サングラスをつけ、神輿とともに神社の階段をおりながら、神様、仏様、先祖代々、世間様、社会の方々に今日まで生きてこられた事を感謝しながら、おりました。


そして、私は思いもよらない知恵と度胸を授かり、前代未聞の大勝負をして、早期解決する事ができました。


私が数珠と経本を身につけるようになったのは、S社とK社の本を読んで、S社に勤めてからです。

そして、身につける経本と数珠は、全て神社に持っていき、神主さんに「お心」を入れてもらいました。

これは、近所の商店街の仏具屋で買いました。


でも、すさまじい状況、人を陥れる陰謀、修羅場の中で道を切り開いていく中で、数珠はまるで私の命の代わりのようにぐにゃぐにゃになり、糸がぼろぼろになって切れてしまったり、また、時には胸のポケットから出した途端に、数珠が宙に飛び散ったりして、そのたびに、新しく数珠を買って神社に持っていき、神主さんに「お心」を入れてもらい、前のやつはお焚きあげしてもらった。

その数珠の数は全部で十一回取り替えた。

そして、経本は、数珠ほどではないが、擦り切れて何冊か取替え、前の経本はお炊きあげしてもらった。


こういった人生を送ってきて、今日まで生きてこれた感謝の気持ちの挨拶と、人生最後の仕事を何にするか考えてみる四国八十八ケ所巡りでした。


この四国八十八ケ所の写真入りブログが終わったら、チトラの回想録を続けますので、どうぞ呆れずに宜しくお願いいたします。

今後、週二回体調を見て、更新していけたらと思います。


皆様どうぞよろしくお願い致します。



挿話1

私が当時の時世でも今の時世でもそうだとは思いますが、前代未聞の経本製作を母の古くからの友人に依頼しました。その経本とは、紙から作ってくれと言ったが、それが出来ず何にも書いていない経本をわざわざ作ってもらい、前代未聞の経本を書いてもらった。この時、この方から仏具屋からこのご時世にこれをあんたに頼んだのは誰だ?と徹底的に聞かれたが、私の立場を考えて明かさなかったということを私に言った。だから、絶対にこの事は喋っては駄目だと念を押された。理由は、喋ったら立場上大変な事になるんじゃないかという配慮からだった。

①紙探しから始まり

②何も書いていない経本を作り

③母の古くからの友人に私が入れて欲しいお経を書いてもらった

④仏具屋の方に、母の古くからの友人は鬼気迫るように「あんたこれを本当に書けるのか?間違えたら大変な事になるぞ」と念押しされ、緊張しながら書いたが途中で何かがあって怖くなり断ってきた。「怖くて書けない。勘弁してくれ」と言ってきたが、なだめて食い下がり、必死でうまく言いくるめて書かせた。

⑤で、経本が出来た。その後、身辺整理した時に、全ての処分をある行者に一括依頼した際に、有名な寺院に行ったと行者から聞かされた。

⑥後に、この経本を預けた僧侶が大変な出世をしたと行者から聞いた。大変喜んでいたと聞かされた。

⑦この経本を作って、母の古くからの友人はあっという間に亡くなりました。



挿話2

私の葬式をあげた住職も私の葬式(生前葬)をあげてまもなく亡くなりました。

チトラにお味噌汁を作るんで「あさり」を頼まれたので

DVDの「もののけ島のナキ」を借りに行く途中で

買いに行こうとしたら

もののけ島のナキはまだ、レンタルされていなかったので

ジャスコでアサリを飼うことにしました


チトラは明日の病院のために

銭湯に行きました


たんこぶとアサリを買うときに

混んでいたので、たんこぶにアサリを取ってきてくれというと

たんこぶが、アサリのパックを持ってきたので

それを持って、おやつもかって

かなり並んでいるレジへ行きました


途中でミスドのドーナツが食べたくなり

たんこぶと、ぶたうさぎは二手に分かれて

レジとミスドへ分かれてならびました


借りは疲れたったので

ルーラの呪文を、たんこぶの財布でつかいました

ありがとうたんこぶ得意げ


チトラの家に着くと

ほっと一息ついて、チトラがごはんを作り始めると

「なんでこんなにアサリが少ないんじゃー!!プンプンガルルルルルルー!!」と、吠え出したので

たんこぶが「ぶたうさぎ!ぶたうさぎー!!たっけてー!!ショック!」と言ってきたので


チトラは、ぶたうさぎを最初から怒っていたので

そのまま、ぶたうさぎはチトラの逆鱗にふれたままでした

・・・長女って・・・悲しいブルーベリーな感じ・・・カゼ




追伸

チトラは、ぶたうさぎやたんこぶのごはんを

ちょこちょこ作ってくれるようになりました


でもさっき。

チトラのおやつを食べちゃったら

めちゃくちゃ烈火のごとく、大魔神に変身しちゃったので

ぶたうさぎのシャナクの呪文は・あっさりかき消されちゃいましたえっ