親戚の人が来るので、休む事になりましたが、ここ1週間の出来事を、書きました。笑ってやってください。
これからも、宜しくお願い致します。
親戚の人が来るので、休む事になりましたが、ここ1週間の出来事を、書きました。笑ってやってください。
これからも、宜しくお願い致します。
ここ1週間、私用と娘の用事で、アチコチに出かけました。
特に、娘に頼まれた事は、日にちと、時間が掛かりました。
娘は、この1年間で太ってしまい。
着られる洋服が殆んど有りません。
娘に頼まれた、洋服は、トレーナの上下で、私は 、娘に頼まれた時、トレーナだから直ぐ見付ると、軽く思っていた、まず新宿のハルクに行った、カッコイイ物は、沢山有ったけど、サイズが無く、次の日は、新宿のデーパトを見たが、やはりサイズが無く、L専門店も見て回ったが、若い娘が着るような、カッコイイ物が無く、また次の日は、銀座を2日間かけて探したが、サイズが無く今度は、上野のアメヨコに2日間行って、やっと見つけたのは、男物の2Lでした。
太らせた、私が悪いのか、太ってしまった娘が悪いのか。
私の、親、兄弟は、皆、商売をしていて、子供を見ながら営業していた。
私は、マージャン屋だったので、そーゆう場所に、二才半の幼児と生まれたばっかしの赤ん坊を置く分けには行かず、保育園に子供を預けようと思って申し込みに行ったが、どこも一杯で、入れず、仕方なく近所の人に娘を預け、赤ん坊は、私の母に預かって貰ったが、娘の方は、預かって貰っている人に懐かず、10日間の間に、何度も、娘を預かってくれている人が、音を上げて、泣き弱っている娘を店に連れて来る用になり、私は、娘の泣き弱っている姿を見て、いたたまらず側にいた夫Kを呼び娘の泣き弱っている姿を見せ少しは、子供の事も見なさい。
とKを怒り、娘の面倒を見させようとしたが、Kは、何だ感だっと口実を作り、結局、私が、仕事をしながら、娘を見る用にKに、そゆう状況を巧妙に作られ惑わされ、誘導されてしまった。
息子を預けている、母の方も、その時、毎日、従妹の子供と長男と次男の子供が来ていて大変だった、お袋も、飲んだくれの、酒乱の親父を抱えながら、店を営業し孫の面倒を見ながら、赤ん坊の世話までさせる事になってしまい、私は、いくら自分が忙しくって時間が無いと言っても、このままにしておけば、お袋が倒れてしまう事が良く分かり、私は、お袋が倒れにないように、自分の子供だけでも、自分で見なければと、思い私は、Kに、二人の子供の親としての、自覚を持たせる為にも、Kに、これからは、子供は、誰にも、預けない、どんなに大変でも、二人で仕事をしながら、子供を育ってて行く、今が一番大変な時、鳩のレースだけでも、ちょっとの間、止めてほしい、とKに言うと、Kは、良い返事は、しなかったが、私は、ドンドン行動して行った。
店に赤ん坊が、いる事が、なるべく、お客様に分からない用に、囲いを作り、生活臭さに、気お付け、二才半の娘には、店の中で走り回らない用に、目配りして、仕事していたが、相変わらず、Kは、巧妙に口実を作り、時には、事も有ろうに娘を連れて、女の所に行ったりして遊びほうけていた。
こゆう事が続く中で私は、段々と仕事場に行く前に、毎日、お参りに行く時間だけは、何としても作り、必ずお参りしてから仕事に行く用になっていた。
私と夫Kは、お袋の、お陰で、町一番のマージャン店を経営する事が出来ましたが、遊び好きのKは、何だ感だと、巧妙に口実を付くては、遊び歩き、労働は全て私に、押し付けていました。
そんな中、私は妊娠した、私は、こんだは、Kも真面目に、やるだろうと思って、いましたが、ウミセン、ヤマセンのKは、益々巧妙に私が、働かなければ、ならない用に誘導され、二歳になるか、ならぬかの娘も家に置いて置けず、店に連れて行かなければなりませんでした。
仕事が仕事だけに、目の離せない年の娘を抱えての、仕事は、労働の他に、娘が、お客様に迷惑を掛けないか、怪我をしないかと、絶えず心配もし、食事も完全に不規則になり、医者に検診に行った時、お腹の中の子供が逆子だっと言われた。
医者に言われた事をKに話しても、二三日は、心配した振りと多少は、気を使ってくれましたが、直ぐ元に戻ってしまいました。
そうこう、している内に、予定日より、ずっと早く産気付いてしまい、急遽、入院する事になり、逆子で難産の末、未熟児で息子が生まれました。
私が退院する時、息子は、未熟児で生まれたので、十日間ほど入院しました。
夫Kは、私が入院している間、嫌でも仕事をしなければならず、私の退院前から、言葉、巧みに、私が、退院したその日から、私が自発的に店に出る用に持って行かれたが、私の、母が、店に来て、今お前の家に行ったら、お前がいないので、まさかとは思ったが、来たんだ。
Kは、母が来たことで、慌てて、俺は出るなと止めたんだけど、こいつが出ると言って出て来ちゃたんで困っていた所なんですよ。
と色々母に弁解していた、母は、Kに女の産後の事を色々話し、1週間は、安静にさせなければ、いけないとゆう事で、私を、家に連れて帰ったが、Kは、娘がうるさくて仕事にならないとか、お客様と喧嘩になったとか、私が、心配する事ばっかり言うので、私は、私の事を心配してくれる、お袋に分からないように、退院3日目から、仕事に戻っていた。
そしてこの頃から、私は、神道、仏教の本を読む用になって行った。
お袋の、お陰で、ビルに入れて、町一番の大きなマージャン店が出来る用になった、私と夫K、これで、もう私達には、余裕のお金は無い、Kも、真剣になって、働くと思っていたが、オープンして、二三日立った頃、Kは私にマージャン屋て、ゆうのは、経営者が、メンバーの足りない所に入ったりしないと、客は来ない、それとレース鳩の訓練も有るし、きゅう舎の掃除も有る。店で出す、お茶菓子だって、アメ横まで仕入れに行かなくちゃならない、俺も手一杯だ、徹夜でマージャンの相手をしなくちゃならない日だって有る。
何だ、カンダとKに口実を付けられ、私は、40何坪の店の掃除から、接待、徹夜でやるお客様に、出す食事まで押し付けられた、Kは、今は、お金が無いからっと言って、パートの人を、一人やっとたが、二三時間しか置いてくれず、また、朝からのお客様も有り、ほとんど私は寝る間も無く、自宅は、万年床で、一時は、蜘蛛の巣まで張る始末でした。
私は、こゆう状態にKに持っていかれ、店の売り上げの事を、Kに聞いても、Kに惑わされ、返って用事をドンと押し付けられた。
この当時から、私は、人の一念は、岩をも貫き通す。
とゆう事に芽生えて行ったと思います。