私は、S社の食堂の事で、散々怒られ意見され、お前が断らないなら、親父と、お袋で断りに行く、この話は諦めろと言われて、私は、何も答えず黙って家に帰りました。
家に帰った私は、親父とお袋に言われた事を、じっと考えて見ました。
考えてみて、思い付いた事は、私は、確かに親の言うとおり、今まで、汗水垂らして働いた事も無い、だけど前の食堂の夫婦は、人間だ、私も人間だ、同じ人間じゃないか、その同じ人間の遣る事だ私に出来ない事は無い、と思ったら、体中が熱くなり思わず私は、面白いじゃあない、やって遣ろうじゃない、包丁一本持った流れ者の職人が何だって言うんだよと叫んでしまいました。
私は、日を置いて、親父とお袋に言いました。
私を止めても無駄だよ。
やる事に決めたからとゆうと、親父も、お袋も、私がそゆうだろうと思って、この何日か私が遣ると言ったらどうするか話会っていて、もうその結論が出ていました。
あーどうせ、お前の事だからヤルと言うと思った、だけどな、お前一人じゃあやらないよ。
もし、お前一人でやらしたら、どうなるか、考えただけでもゾットする、直ぐ男女の噂になり、お前を選んだ人達に迷惑だけでは無く責任問題にもなるんだぞ、家庭も家族も有り大変な事になるんだぞ、済みませんじゃ済まないだぞチトラよく聞けよ。
父ちゃんとも話したんだけど、お前がイッタンやると言ったらヤルだろう。
だけど父ちゃんも母ちゃんも今までとは、違うよ。
今まで、お前が何をやろうと、全て内でお前の後始末が出来た。
今度はそうは行かない、相手は、株式会社だ、なーチトラどうしてもヤルと言うんならKを許してやれ、Kも、お前達と別れて見て、自分が悪かった、と思って反省しているじゃあないか、子供達の事も考えて許してやれ、タカガ女の事位で、ガタガタ言うんじゃねえ、と親父にも一言いわれ、Kとヨリを戻して一緒に食堂をヤルなら反対はしない。
だけど、どうしても、お前が一人でヤルと言うなら、これはもう内だけの問題じゃあ済まなくなる、お前は、全てを無くすぞ帰る所も無くすぞ、父ちゃんも母ちゃんも、今度は本気でお前をヤル(食堂をやらせないとゆう事です)からな、チトラよーく考えろ、と言われて私は、両親の顔を見た時あー本当にヤル気だなと分りました。
それから一人になって、また考えて見ました。
でも、もう私は、この未知なる食堂を何としてもヤリタイとゆう気持ちが強く考えれば、考えるほど、体中が熱く燃え上がり、面白いじゃあない、やってやろうじゃあない、とゆう熱く燃え上がった気持ちを抑える事もできません。
そうかと言って、今まで散々迷惑を掛け親不孝の数々を掛けて来た、私は、親の真剣な姿を見れば心もグラ付き、Kとヨリを戻す事で親も安心し、又これで会社にも迷惑が掛からないなら、私は、自分だけが知らない、この未知なる食堂をどうしてもやりたくて、Kとヨリを戻す事にしました。
Kは私に、女に脅かされて籍を入れた、今は殆んど女の所には、帰っていないけど、Kが新しく借りたマンションに女が、Kが本当に一人で暮らしているのか、どうか様子を見に来る、下手な事をすれば、訴えられてしまう、このまま、放っておけば、2年位で女も諦めて自分で籍を抜くだろうと言っていた。
Kの言ったとうり、2年位で籍は抜けたが、私は、その時その女性を本当に可哀想だなと思いました。
この女性は、Kと籍を入れるまでに、長い年月、別れたりヨリを戻したしている内に、Kに惑わされ、頭がオカシクなって、何回か精神病院に入った事をKと私の共通の友人から私は聞いていた。
私とS社の食堂の話が現実のモノと分った時の、お袋と親父は、驚くと同時に怒り出した。
それまで、親父もお袋も、S社の人達が楽しくなるような冗談を言っているものとばかり思っていたので、全く気にも止めていなかった。
親父は怒り切って、顔を真っ赤にして、体も怒りで震えていた。
お袋の顔は青ざめていた。
親父は私に怒り切って怒鳴りました。
相手は株式会社だぞ、内は個人だ、個人が、どんな馬鹿やろうが、個人で済むが、株式会社は違う、お前見たいな馬鹿が行ったら大変な事になる。
直ぐ断れ、お前が断らないなら、俺が、かあちゃんと行って断ってくる。
お袋も事のジュウダイサに困惑しながら、私に話しかけたとき、親父は、側に有ったイスを蹴っ飛ばして私を睨み付けて、私の事を、テメエーが今まで、どーゆう事を遣ってきたか良く考えてみろ、この馬鹿野郎がと言って奥の部屋に行ってしまった。
(私は、親父に怒鳴られながら、心の中で親父にジャーてめえーは何やって来たって言うんだよ、自分がヤッテ来た馬鹿な事を棚に上げて、偉そうな事、言うんじゃねえと、心の中で言い返していました。)
お袋はチトラお前は、分らないだろうけど、あの人達は、株式会社の人達なんだよ。
個人じゃあ無い、皆、立場とゆうモノが有る、もし、お前が馬鹿をやったら、済みません、じゃあ済まない、責任を取らされるんだよ。
家族もいるんだぞ。
よーく考えろ、それに、お前は何も分っていない、食堂とゆうものが如何に大変か、
(当時、実家の店の前に食堂が有り、お袋は、私に断念させる為その食堂を引き合いに出した。)食堂とゆうモノは働き者じゃあなければ出来ない。
前の食堂の夫婦が如何に朝早くから夜遅くまで働いているかを聞かされ、お前なんかには、とっても出来ない、お前が考えているほど甘くは無い、それに、お前は、今まで、料理とゆう料理を作った事も無い又、包丁だってアンマリ持った事が無くって、お前は、自分の子供達からも、母の日に包丁を贈られる親なんだよ。
それに、カリに職人を使うにしても、お前には使えないよ。
職人が如何に偏屈で変わり者か、お前は何も分っていない。
前の寿司屋の事は、お前だって知っているだろ営業中に職人の頭と経営者が意見の衝突をしただけで、話し合いもせず、イキナリ頭が子飼いの職人達を連れて上がってしまい(上がるとゆう事は辞めるとゆう事です。)店が営業できなくなて、どれほど経営者が困ったか、そんは話は掃いて捨てる程あるんだよ。
お前が食堂をやったとしても、必ず、こーゆう問題が起きる。
もう分っただろ、その時、済みませんじゃ済まないとゆう事が、この話は諦めろと、お袋に言われたが、私は何も言わず、ただ黙って家に帰った。
当時こういった、職人達の事を人は、箱と呼んでいた。
こういった事が口伝えで全国に広まり、今は、ほとんどの所が箱で使う危険性を知っているので、使っていない。
私とS社の食堂の話が、二転三転している時の、私の両親も兄弟達も、皆、冗談をS社の人達が言っていると思って行った。
S社が運送やさんとゆう事位しか知りませんでした。
私が生まれた頃父は、運送やさんに、勤めていて、酒癖の悪さでクビになりました。当時は、運転業の人達の事を人は、影で雲助と呼ぶ程シツが悪かったと父と母から聞いていました。
S社の人達が店に来た時から運送やさんと分った時まで、私も両親も、このS社の人達を見ていて、何時も感心していました。
お袋は私に、チトラ、ヨーク見てオキナあの人達は、凄い教育を受け来ている人達だよ。
礼儀正しく、謙虚で、誰にも気さくでシンからの明るさを持っている。
イッタイ何所の会社の人達なんだろうねと話している内に運送業の人達と分り、お袋は驚いていました。
お袋の今まで見聞きして来た運送業の人達とは全く違っていたので、お袋は、うーんこれから運送やさんもシツが大きく変わっていくんだねえ、と話していても、S社が今、有名な会社だっと聞かされても、私もお袋も、当時、運送やさんとの縁が全く無く、あそう運送会社の人達だったんだ位の事しか知りませんでした。
そして、この頃には前夫Kからの電話が良く有り両親もKの言葉巧みな、惑わしで誘導されて気を許すようになっていた。
私も子供達もチョコチョコ、Kに食事に呼ばれていたが、Kは、私が警戒しないように復縁の話は一切せず私とS社がどうなっているのかを、、聞きたくって、私が喋りやすいように、惑わされ誘導された。
この時、Kが私に言っていた事は、この食堂の話は、お前の為に良いと思うよ。
まるで、これからの私とKが友達関係で行くような話し方だった。
そして月日だけが過ぎて行き私の八方塞の年期も目前に迫っていた。
まだ返事が来ない、あーまた食堂の話は流れてしまうのかと不安が込み上げて来た時、S社の幹部管理職の人達が朝、皆さんで、勢い良く入って来た。
そしてソレゾレの方が、社の食堂が辞める事が決まった、完全に辞める事になった。
後は、何時、撤退するかの日にちを出すだけの事だ、もう少しの事だからねと聞かされた。
そして食事が終わり皆さんが出て行く中で、他の方々にキズカレナイように、さり気無くO課長が私を呼び止めた。
その時の、O課長は、何時も見せている、オドケタ表情では無く、真剣、其の者のでした。
O課長は、私に、後は、撤退の日にちだけだ、それまでの間、内の社の本が出ている、本屋に行って買って、読め、良く読んでから来るようにと、私は、O課長から念を押された。
続きになりますが宜しくお願い致します。
私は、N親子と和解した後、前夫Kを、どうするか考えていた。
N夫婦と和解した後も、子供をダシにKは私の親の気を、より一層引くために、シンパンに、親に分るように連絡してきたり、又、私の親に分かるように、近所で子供と会っていた。
その時の私は、S社の食堂をやる話が二転三転して、決まったかと思ったら流れてしまい、S社の幹部管理職達からも、どうせ直ぐ駄目になるから待つように言われていましたが、私としては、八方塞の年期も迫っていた、そして金貸しも辞めてしまい、お金に、ゆとりも無く不安の中、S社の話が流れたら何をするかも生活も掛かっているので、早急に考えなくちゃなりません。
何をするにしても、私は、子供を抱えてやって行くつもりでしたので、Kと再婚する気は全く無く、どうすればイイかとゆう考えも中々浮かばない中、弟の嫁T子の、さも私にイジメられて泣かされた、とゆう所を、お客様や近所の人に見せるとゆう、T子の嫌がらせが有る中で、私は、こんな蛇の生殺しのような状態に我慢できなくなり、S社の幹部管理職達に私はこう言いました。私が実家の店を手伝うのは、後、何ヶ月しか有りません。
何時までも、待てる余裕は私には、有りません。
出きるのか、出来無いのかハッキリした返事が欲しい、私も次の仕事を考えなくてはなりませんので、と言った翌日から店にキッテいた幹部管理職達の人数が減っていった。
返事の無いまま、日が経ち、月も経つ中で、私は、後から食べに来て、残っている管理職の人2タリにデキルのかデキナイのか聞いたところ難しいんじゃないかな、諦めたほうが良いんじゃないか、とゆうようなチョット困ったような返事だった。
その管理職が帰って暫らく日を置いてから、私は管理職の一人から最後のチャンスをやったのに、未だに改善されていない、必ずデキルから、もう少し我慢して待つように言われた。
それから、暫らく日が経って、お昼の忙しい時間が終わり、店で私は、一人で色んな問題を抱えていて考えている時、1人の男の、お客様が入って来た。
見た瞬間とっても大きい人で内心、驚くのと同時に、私は、この人は、私を見に来たと感じた、食事をしながら、私を見て見ない振りをしながら観察している事も私は、分っていましたが、この人が、どーゆう人なのか全く見当が付きませんでした。
私が、S社に拾われて、何ヶ月か過ぎて、この方がS社の店長とゆう事が分りました。
それは、S社の店長は絶対の権限を持っていたにも係わらず、店長のイキの掛かった食堂が私とチエンジしたのですから、私が挨拶したいと言っても、管理職の人達は今は、店長は忙しい良い仕事をしてくれる事を望んでいる、その内、時間が出来たら挨拶できるから、何も気にする事はない、皆に可愛がって貰って喜ばれる仕事をしなさいと言われていた。