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チトラのブログ

◆ 母の肺の腺がん ◆ 大きさステージⅣa 転移ステージⅡ 1010年9月28日判ったです ◆
肺の腺がん2020年9月16日に確定、2020年10月19日から初めての抗がん剤治療入院~翌月11月5日17時19分天国へ★あまりに急変で、置いて逝かれちゃった

私は、S社J店の食堂を任されて、驚きました。

幹部管理職、始め全社員の礼儀正しさと、親切で優しかった事です。

私も、ここまで来るには、まあまあ、の世間、社会を見て来た、ツモリですが、これだけ苦労をして来ているのに、皆、明るい人ばっかしでした。

私は、何としても、このS社J店の純粋な愛社精神を持つ全社員の期待に答え喜ばれる仕事をしたいと思っていましたが、先にも書いた用に中々、自分の思ったトウリには行かなかった。

和食と洋食が些細な事で直ぐ喧嘩し、威嚇し合い興奮して、両方ともオネエ言葉で罵り会うのには、驚きました。

(私は、食堂をやる前に夫Kと別れた時、別れの余のシドサに頭に来てKが警察に助けを求めるほど締め上げた事が有ります。

その時Kが興奮してオネエ言葉になったのには驚きました。)

私は、この頃、社員の要望に答えようと必死だったので、気が付いた事とか要望をKに伝え職人達にも言って来たがKは何時も、話し合いもしないで、私を馬鹿にし職人達の前で女の出るまくじゃあねえ、女に何が出来るんだと言って、返って仲を引っ掻き廻されるしまつでした。

そんな、ある時、昼の時間も終わり、珍しく職人達が穏やかになり、話し易い雰囲気になったので、私は社の要望を話したり、気が付いた所を話している時、夫Kは、イキナリ怒り、いい加減にしろ、この馬鹿野郎がと怒鳴られ罵られ聞くに堪えられない暴言を言われ、職人達をアオッテ一緒に罵倒された時、私は、自分で言うのも、何ですが、サスガに我慢強い私も、罵られている内に頭の中がボーットなり、耐えに耐えていたものが、爆発し表に飛び出しました。

店は、3階だったので、店からも表からも出入り出来る石の裏階段が有り、私は、ボーットしたまま、飛び出し階段から落ち暫らく動く事が出来ませんでした。

私は、余の痛さで動く事も出来ずソノママの姿で、考えました。

このまま私が帰ったら、そうで無くても示しが付かないのに、益々やり辛くなる事が分り、そうかと言って今までの用にオトナシク話し合うと言う事では、もう駄目だっと思い、腹を決め何か言ったら、やり返すぞ、と思った時、私は、体中が熱くなり、心の中でナメルンジャネエーよ、この野郎と叫んでいました。

そして立ち上がり店に行くと、Kが大きな声で職人達とショセン女なんか、ちょっと何か有れば、逃げるか、辞めるかだ、やっちゃーいられねえよなーと言って皆をアオッテ高笑いしていたが、私は、もうヤレルものならヤッテ見ろと、ゆう気持ちだったので何にも感じなかった。

そこえ私が、帰って来たので、Kを始め職人達は、私を見て、ギョットして、ピッタと黙ってしまい、ソレゾレが仕事をやりだした。

その時、洋食が驚いて、奥さん背中が血だらけですと言われ見るとシャツが血だらけになっていたので、私は、Kに家に着替えに行くといて、家に帰り薬を塗って、直ぐに店に行くと、Kは、私に、俺、家に帰るからと言って帰ってしまた。


この時、私は、骨折した事に気が付かず、もの凄く痛いかったけど、背中だけ、だっと思っていたもので、余のクヤシサに、心の中で、こんな傷ぐらい何だ、お前達も何か有っても、痛い何て絶対に言わせないからな、と叫びながら私は、イッサイ痛いと、ゆう素振りを見せず毅然とした態度を職人達に見せ付けた。

何で、尾てい骨が骨折した事が分ったかと言うと、何年かしてら夜勤をやらしていた、従業人から、悪ふざけをされ、胸をブツケて、その痛みが余にも異常な痛みだったので、医者に行って、レントゲンを撮ってモラッタところ、肋骨にヒビが入っていた、

その時、階段から落ちた事を思い出し、ついでにレントゲンを撮ってもらって分った。

医者が言うには、この骨は、別に有っても無くてもいい骨だ、それと、もう肉に、めり込んで固まっている後遺症は、出ないから心配するなと言われた。

そして私は、医者から、肋骨のヒビはタチの悪い、ヒビだと聞かされたが、私は、医者に聞きました。

もし折れたらどうなるか聞くと、医者は、折れたら間違いなく肺に刺さると言うので、私は肺に刺さったら、どうなると聞くと、医者は、その時は、刺さった骨を取るまでだ

と言ったので、私は、じゃあ命に係わる事は無いですねと聞くと、医者は無いと言ったので、私は、医者に、折れて肺に刺さったら、その時、取ってモライに来ると言って帰り、家の近所でサラシを買い、サラシをマキ現場に行き仕事を続けました。

でも、余にも、私のやる事が多くて、忙しくって、そんな事も忘れてしまいました。

私は、S社J店の食堂を任され良いスタートがきれたと、思ったのも、束の間でした。和食の職人2人は、箱の人でした。

仕事は和食一筋に来ただけに、まー、一流とは言えないけど、それに近い仕事は出来た。

洋食のコックもそれなりに、良い仕事をしてくれた。

でも、この職人達の会話を聞いていると、どうも腰掛で(腰掛とゆうのは、次の給料の良い所が決まるまで、しか働かない、また何ヶ月か先に、勤める所が決まっていて、そゆう事を隠して入って来て、自分達の都合でパット辞めてしまう事)

来ているようなので、私は、そゆう事がないように、辞める時は前、持って言うように言った。

そして中華の人は昼間、何かやっているので、夜勤をやってもらった、サスガに有名店でやってきただけの事は有ると感心しきる、腕前でした。

当時の社員食堂で、これだけの職人を集めてやったのは、色々調べてみましたが私が始めてだっと思います。

S社の人達の舌がコエテイルいる事は、この業界では、有名でした。

そして思いも寄らない事が直ぐ起きた。

冷蔵庫、冷凍室の殆んどを和食が占領してしまい、喧嘩が始まり、(この時中国の人は、どちにも付かず中立だった)料理が間に合わない事が有る中で、会社から家庭で食べるような、小付け類を増やして欲しいと言われた。

会社の要望を夫Kに私が話すとKは職人達の前で、小付けで、ご飯を食べられたら、利益が出ないと言って、こんだは、職人達をアオッタ、Kは、さもモットもらしく皆だって朝から晩まで働き詰めで、疲れているんだぞ、そんなもの始めたら、皆、辞めてしまうとワメイタが、私は、この時、漠然と職人達は皆、大変な振りと、やっている振りだけじゃあ無いかなと、思っていたので、もうKには話さず、職人と、じかに話しましたが、喧嘩になり、しまいには、職人達から、どっちの言う事を聞けば良いんですか、と言われ、Kからも、お前が店の中を引っ掻き廻しているんだぞと、言われながらも、何とか、小付け類は、だせましたが、絶えず喧嘩になり、挙句の果てには、職人達から、脅かされました。

奥さん、店を繁盛させるも、潰すも、シャジ加減一つですよと、凄まれてしまった。

そんな中あれ程、中が悪かった和食と洋食が急に仲良くなり中華も入れて、お互いの、料理の神髄を話し会うようになっていた。(本当に仲良くなったのかと、思っていたら、職人全員が一気に上がる前触れでした。また明日書きます。)


当時、社は24時間体制で私は、殆んど出ていました。

そして、管理職の人達から、社の社員に対しての武士の情けと規則を教えられ、約束させられました。

それは、夜まだ仕事が終わって、いない内に来た社員に対して、食事を出しては、イケナイと言う事でしたが、管理職の人は、そこは難しいだろうが、相手が自分が社の規則を破ってしまった、済みませんと、ゆう気持ちを持たせるように、そっと出してやるようにと言われました。

規則は一つ破れば、簡単に破れて行ってしまう、そうかと言っても非情に難しいが、そこは、ケイスバイケースで、あくまでも、相手が、済みません、とゆう気持ちを持つように出してやる事と、教えられ約束しました。

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いまーチトラがー非常食?買いにいったのらーヾ(@^(∞)^@)ノうほーい


チトラはー「昔の味 きなこ棒」好きなのらんらんらーんヾ(@^(∞)^@)ノ


吾が輩はースコーンとかーハッピータン2倍味とかー生クリームとかー好きなのらーヾ(@^(∞)^@)ノうほーい



さいきんーチトラーごはんーつくってくれんばい・°・(ノД`)・°・今日はー保存食のーおでんだったのらー



いまー猫が吐いたのらー・°・(ノД`)・°・こりからーかたづけるのらー

私は、当時、社員食堂と、ゆう所に行った事が有りません。

S社の食堂をヤルに当たって、社の幹部の方に食堂を見せて欲しいと、お願いしましたが、幹部の方は、まーな、色々な事が有って、こんな結果になってしまったが、武士の情けとして、営業中にオオピラに見せる事は出来ないが、日曜日なら休みで、食堂の人も誰もいないから、見て良い言われた。

そして、もっとも驚いた事は、S社に入るのに、お金が一銭も掛からず、食堂に関する物、全てS社が持つとゆう、夢のような契約でした。

この契約には、お袋も親父も、私もビックリし、お袋なんか、感極まって、これは夢じゃあないよなー、こんな事が有るのか、こんな事が有るのか、と言って、声を震わせて、驚き気っていました。

そして、直ぐ人を募集に入りました。

Kも、まだ女とは型が付いていないので、女の目を盗みながら、私と一緒に、事に当たっていました。

募集に関して職人の箱に気を付けなければなりません。(箱とゆうのは、頭がいて、グループで勤めて、何か有れば、サット辞めてしまい、店を潰したり、また経営を駄目にしてしまう集団で動く職人達の事を当時、人は箱と呼んでいました。)

そして、集めた職人は、食堂に勤めるのは初めてとゆう人達でした。

その道一筋の和食20年と18年の2人と、ホテルのレストラン専門の洋食のコック17年1人と、当時、有名な中華店に勤めていたが、高級な給料を取っていて、賭け事で身を滅ぼしてプラプラしていた、中華37年の中国の人、一人と、女性1人が決まりました。

私も、S社に行くまでに、色んな事を覚えなくては、なりません。

業務用の釜を買って、米と水を入れ持ち上げられる練習を何回もやりましたが、とうとうS社に行くまで持ち上げられませんでした。

そんな時、S社J店(これからは、こう書きます。)から呼ばれ私は、Kを連れて行きました。

そして、管理職の人達と雑談をしながら、O部長から私は、S社J店に来るに当たっての、心構えを聞かされた。

O部長は、私に、皆と仲良くやる事、仲良くしてもらう事、皆に可愛がって貰う事、一つ屋根の人達は、皆、仲良くやる事、仲良くしてもらう事、食堂に来る人は、この社に取って全て大事な人だから、大事にして、皆に可愛がってもらう事、そして皆に喜ばれる仕事をする事、これが社の要望だ分ったね。

と教えられた。

私は、O部長にハイ分かりました。

と答え、話も終わり家に帰りました。

この時、管理職の人達がKに良い感じを持っていない事が分りました。

私も、随分Kには、人に対しての態度の有り方を教えてきましたが、さすがに人の上に立つ管理職の人達の人を見る目は、凄いなと思いながら、Kの人間としての教育もしなくちゃならないと思った時、S社の本の事も有り、私は、これからは、数珠と経本を身を正して身に付けなければいけないと、決心しました。

数珠は、全ての道に通じる物を店員に聞いて選び、珠も原点に近い物を選び、経本も全てに通じるように、薄い経本を2冊買い私は、地元の神社に行って自分の志しを神主さんに話して、数珠と経本に神の御心を入れてもらい、その時から経本は腹に収め、数珠は、腕にハメルか胸ポケットに入れていました。

そして食堂オープンの日、お袋も親父も、私達の為に店を休み応援に来てくれました。

そして社員の方々に、お袋も親父も必死で、私達を宜しくお願いしますと頭を下げきってくれた親の心が社員の皆さんに伝わり店も凄い盛り上がりました。

K課長も顔を赤くして興奮して私とお袋と親父の所に飛んできて、大成功だ皆、凄く喜んでいる、今日の、この気持ちを忘れるな、皆に可愛がってもらうんだぞ、と教えられました。

私が、Kとヨリを戻すとゆう事で、親父もお袋も、ほっとして、S社の社員食堂を、やっても良いと言う事になり、私の動きも忙しくなって来ました。

そのイッポウでKは、私の両親を前から電話で惑わしテナズケテいたので、こうなる事は、分っていたみたいです。

それからのKは、親父を良く自分の車に乗せ、ちょっとしたドライブに連れて行き、喜ばせ、両親のご機嫌を取るようになっていました。

これで、やっと自分の動きが出来るようになり、また私の八方塞の年期も明けました。

私は、直ぐO課長に言われて買ったS社の本を読みました。

私が、このS社の本を買いに行った時、私は、もう一冊の運送会社の本を買いました。

この時、私は、S社と、この運送会社がライバル同士とゆう事すら全く知らず、ただバクゼンとS社を良く知るには、この運送会社の本も読まなければ、いけないんじゃないかと思って買いました。

私は、S社の本を何回も読み替えした後、ライバル会社の本も読みました。

読み終わった後、私は、何か良く分からない、ながらも、事の重大さに気付かされたように思います。

読み終わった後、私は、このS社に行くには、今までの自分をヨーク反省して、私は身体に確りしたモノを身に付けて行かなければならないと、確信しました。

ソウコウしっている内に、S社の食堂をヤル日にちが決まりました。

ちょっと書き忘れましたが、私とKがヨリを戻す事になって、直ぐ母は、朝、食べに来てくれる管理職の人達に、私を伴って皆さんの前で、ちょっとした事情を話し、私に所帯を持たせる事を話しました。

その時の管理職の人達は、良かった、良かった、あー本当に良い事だ、頑張れよ。と母も私も励まされました。

食堂をやるまでには、一ヶ月も有りませんでした。


やっと八方塞の年期も明け、その間、色々な事が有る中で、自業自得に落ちながらも、S社に私は拾われました。