東北地方太平洋沖地震におきまして被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
一段落付いたようなので、今日から又ブログを初めますので宜しくお願い致します。
私は、花柄のワンピースを着て、母の入院している病院の前で中には入らず、病院の前で、母に最後の別れをし、病院に、お礼の一礼をして家に帰った。
それから何日か経って、会社に実家から電話が有り母が死んだ事を知らされたが、私は、病院には、行きませんでした。
私が、病院に行く事で、病院で兄弟達夫婦と喧嘩になれば、患者さんにも、病院にも迷惑が掛かるので、母が実家に帰って来たら行くと言って電話を切った。
私は、早めに仕事を切り上げ、家に帰って母が実家に帰るのを待った。
暫く経ってから、従妹のH子から電話が有り母が実家に着いた事を知らされ、私は、直ぐ実家に行った。
母を見た時、私は、むっとした、汚い布団に髪も乱れた侭、薄汚れた顔で寝かされていた。
私は、そんな姿の母の死に顔を見て、安心しました。
私の母に対する願いは、全て、神、仏、先祖代々に寄って叶えられた事が解りました。
母の死に顔は、何一つ苦しまず、憎しみも消え、穏かに、この世で成仏して死んで行った事が顔にハッキリ現れていたので私は、ほっとしました。
私が、何時までも、母の側にいれば、私は、兄弟達夫婦と喧嘩になるので、家に帰り神様、仏様、先祖代々に、母を、この世で成仏させて頂いた、お礼の挨拶をした。
通夜のときから、私の周りには、色んな人が私が何時、怒りだすか、ハラハラしながら、葬式が終わるまで事を起すな、我慢しろとか、葬式を無事に終わらせる事が大事だっとか言って、私の周りには、私が、怒って、暴れたら、止めようとする人が何人か私の周りに張り付いていた。
母との最後の別れが来た時、私は、母を見て驚いた。
母が、生きていた時の一回目の退院の時、兄弟達夫婦を全部呼んで言った、母の生きている時の遺言が何一つ、なされていなかった。
母は、歯をむき出し、化粧も無く、髪も乱れ顔も薄汚れ、カツラも無く、病院から帰って来た時の儘の姿を見た時、私は長男の嫁S子と弟の嫁T子を見ると、二人は、薄ら笑いを浮かべて私を見返し、して来た時は、さすがに、私も切れそうになったが、私は、周りを、囲まれてしまっていた。
それでも、最後の時、母に対して、余りにも、粗末に扱い過ぎて人が見かねて、何か、お棺に入れて、やる物は無いのか、と言うとS子もT子も、誰も何も言わないので、また3回位、怒鳴るように何にも無いのか、と言われ、T子が、笑いながら持ってきたのは、母のブルーのブラウス1枚それも色が変わり、汚れたもので、それをT子は、丸めてポイとゆうふに、私を見ながら、笑いながら、お棺に放り込まれた時は、私は、怒りで体中が震えっていたが、私は完全に囲まれ、じっと我慢しなくってはならなかった。
葬式が終わって、からは、一切、私には、何の連絡も無く、納骨も、知らされず、回忌も近所の人から終わった頃、教えられていた。
私を取り囲んだのは、親戚の人と近所の人達でした。
もう1回、母の事を書きますが宜しくお願い致します。