私は、夫Kの姉で次女の夫N男の紹介で入れた職人B男を斬った事で、KとKの母、兄弟達に目の仇にされ、KとKの母兄弟達の策略に寄って、Kの母の所に、ちょこちょこ呼ばれ、B男を斬った事が如何に私が悪かった事か、Kと母兄弟達に罵られていた。
そして、私の、兄から強引に紹介させた職人のA男も、何度、話し合っても、通じなく、ちょっと、私が目を離せば、追い回しをするので、私は、他の従業人がA男から追い回しを、されないように目を配っていたが、B男を斬った事で、その箇所を次の職人が決まるまで、Kがやらなくっては、ならないので、今まで以上に、皆の居る所で私を馬鹿にし、店の仲も纏らないように引搔き廻し、社の弱い人達を怒鳴ったりして、問題を絶えず起している時やっと次の職人が決まったが、私が従業人の仲を纏めて旨く行きそうになると、Kが又、仲を引搔き廻し、従業人がKの、その横暴さに、言う事を聞かないと、何時ものように、Kは皆を睨みつけて、大きな声で、金を払うのは、コイツじゃあない、俺が払っているんだぞ、俺の言う事が聞けなければ、払わねえぞ、辞めても良いんだよ。
と言って、脅かすので、従業人の仲も中々纏らず、簡単に終わる仕事も、いくら私が教えても、時間を巧妙に掛けて、私が、注意すると、さも元もらしく、職人も従業人も、決まって言う事は、これからやろうと思って、計画を立ててやっているのに、奥さんは、焦りすぎで、皆のやる気を無くす事ばっかし言っていると言って、
私を平然と威嚇する事の繰り返しの中、私がS社に拾われて5年が過ぎていた時、私を拾ってくれた幹部管理職達は、殆どの人達が出世して居なくなり夜勤の幹部管理職一人だけになり、後は当時班長だった人達が、管理職になっていた。
その中の一人にKの性格に良く似た人でS課長とゆう人がいた。
このS課長は、Kに良く似ていて、社の弱い立場の人達を平然と虐め、何時も誰、彼無く睨みつけ、挨拶しようものなら、今にも怒鳴られそうになるので、皆怖がっていた。
S課長は、上の人に、ゴマを摩って取り入るのが巧みで、這い上がって来た人で、社の人も何かS課長に言って、有る事、無い事を、店長に言われたく無いとゆう感じで怖がっていた。
そのS課長とKが食堂で喧嘩してしまった。
それが元でS課長は、自分の言いなりになる、部下を使って、美味い不味いを平然と言わせ、食堂がやりずらくなるように、巧作して部下に食堂で嫌味を言わせるようになっていった。
それと同時に癒着とゆう言葉が飛び交い社の人達も、私も、得体の知れない恐怖を口には出さなかったけど、強く感じていた。
私は、ある時、何時ものように、知っている社員の人に挨拶しょうと思って、名を呼んだ時、社員の人は、戸惑いと凄い恐怖の表情を見せられた時、私も凄い恐怖と怖さを感じ、この癒着とゆう、言葉で今まで覚えた社の人達の名を一切忘れ、知っている社員の人達とも、お互いに暗黙の内に親しく無い、とゆう態度で接するようになっていた。(この時の、恐ろしさと恐怖で、今も人の名を覚える事が中々できません。)
表も中もガタガタ揉めている時、B男の後、入った職人とKの横暴さの積み重ねが原因で喧嘩になり、辞められてしまい、またKに従業人との仲を引搔き廻されている時、私の、住んでいる、町の町会の役員の人が(この人は、私の実家の親兄弟達の知り合いでも有り、私ともKとも知り合いで有る)
一人の職人を紹介してくれた。
この職人の事を、これからS代(男)と書きます。
S代は、私の実家の近くで料理屋を経営していた。
このS代に付いて、私は、母から何度も聞かされていた事が有る。
S代が店を持った時、私の母がしてきたように、S代は、まず隣、近所に挨拶して、店に招待して、お土産まで呉れて、周りの人と仲良くやれるように、謙虚な態度で徹底的に努力した事と、S代の結婚式に母が呼ばれた時の、S代の招待客に対する立ち居振る舞いの立派さに驚いていた。
母は、S代が近所で店を改装している時から、近所の人達から色々S代に付いて話しを聞いて知っていた。
S代は、店を構える前は、帝国ホテルの和食の料理屋で花板をしていた。
母は、最初どうせ偏屈な変な人だろうと、思っていたが、全く違い大変な立派な人が町に来たもんだと言って、内の奴等も見習わなければ駄目だと良く言っていた。
そして、帝国ホテルの結婚式場に来た招待客の立派さに驚き、あの若さで、これだけの人脈を持ちながら、威張らず、生意気にならないで、謙虚さと感謝を持っているS代に驚き私に、良く見習えと言っていた。
町会の役員の御茶屋さんのお陰で、S代を朝から昼に掛けての3時間だけ手伝って貰えるようになり、見る見る間に、S社の社員及び他の人からもS代が来た事を喜ばれ、何時しか、S課長の露骨な嫌がらせも、少し収まった。
私も、S代が来てくれた、お陰で、疲れ切った体と頭の中を休める事が出来た。