知的障害のある自閉症は、割と早い段階で発覚しやすい。

 

予防接種とともに行った2歳検診で、言語の遅れや反応の遅れを指摘された。

そのときは「これは個性」と言い張ったせいで、せっかくのアクションのタイミングが遅れたのは、今でも申し訳ないとは思う。

 

でも、そんなにすぐ、はいそうですか、と受け入れられるものでもない。

 

そのときは、最初の段階である

1.現実逃避

だったんだろうと思う。

 

他の国は知らないが、台湾ではこの検診で発達遅滞が見られると、医師から社会福祉局へ連絡が行く仕組みになっている。

そして、社会福祉曲の社工師と呼ばれる担当者から連絡が来る。

でもそこでもまだ「現実逃避」段階なので、個性だと言い張り、様子見をすると伝えた。

(ただし、評価だけは受けるように言われ、その手配はした。最後までやり遂げなかったけれども)

 

 

現実逃避後は何か。

 

次は、「2.不安とゆらぎ」だ。

 

現実を直視しないまでも、当然、遅れはいやでも目に入る。周りからも言葉が遅いね?などと言われだす。

そうすると、自分でも段々と不安になる。

 

あれ、もしかしてこれは、本当に個性じゃなくて何らかの障害があるのかな。

 

そうして、ようやく「ネットで情報を探し出す」のだ。

 

ただし、ネットで調べたところで、お決まりの定型文であったり普通の人の普通の体験談であったり、正直完全に当てはまる同じ状況なんてものは一つも見当たらなかった。

 

私の場合は特に、海外でハーフの発達障害児を育てる情報ばかり集めていたせいで、

余計に情報が少なかったこともある。

 

そうして、どんどん不安になる。

個性という点もゆらぎだす。

 

 

「3.懐疑的ではあるが、段階的に受け入れはじめる」

 

 

私の場合は、ここでようやく評価手順を完了させることを承諾した。

医師と相談し、社会福祉士と相談し、早期療育課程に進めるための、評価を行うことになったのだ。

 

評価中であっても、早期療育を行うことはできる。

人気のあるクリニックや大病院だと、患者数に比べて治療師が少なかったり、治療師の皆さんは大人のリハビリも兼ねていたりするので、時間の手配が難しい。

だからこそ、早めに予約を行う。

なんでもそうだが、特に子ども相手だと、開始が早ければ、結果が見えるのも早まるのである。

 

 

ただし、この時点でもまだ懐疑的ではある。

正直なところ、今でも懐疑的なところはある。

「たったあれだけの面談で、一体何がわかるのだろう?」

それでも、これだけ多くの人が支援の手を伸ばしてくださり、ネットではない経験談も聞けるようになった。

 

 

「4.あるがままとして受け入れる」

 

最近ようやくこの段階に進めたような気がする。

 

例えば、以前は、実はこれは医師の診断ミスなのではないか。改善される、いや、きっと治るのだと思っていたふしがあった。

まだ受け入れられなかったのだ。自分が子どもに対して期待していたような未来を得るのは、もしかしたら難しいかも知れない、という現実を。

 

今思えば、治るってなんだ、別に病気でもないのに、とは思うが。

 

そして、今、療育園(日託班)に通いだして、なんだかんだ楽しくやっている子どもを見ると、

「こうしてできることをひとつずつ増やしていければいい。将来のことはわからないが、健康で、自分でできることを増やして、毎日楽しいことがたくさんある日々をすごしてくれればいい」

と思えるようになったのだ。

 

 

「5.全てに感謝し、努力し、楽しむ」

 

 

今自分では、この段階へ進んでいる最中だと思いたい。

子の成長とともに、親もともに歩み、成長することができるのだ。