早く死ねば良いのに・・・・。
たまに介護相談の中に、このような発言が見られる事があります。
私の人生、介護のせいで台無しじゃないか!
朝から晩まで糞やしょんべんの始末ばかり!
一日何回洗濯させれば気がすむんだよ!
いい加減、早く死んでくれないかと願っている。
本当、早く死ねば良いのに・・・・。
年末年始もそんな発言がちらほらあり、本人は日頃のうっぷん晴らしのために掲示板を使って
そのような発言をするのだろうと思うけど、そういう発言を見るたび悲しくなると同時に怒りがこみ上げてくる。
そんなに介護が嫌なら自宅で面倒見ないで施設に入れれば良いじゃないか!
私は声を大にして言いたくなるが、そう言う人は相手をしない。
何を言っても無駄だと思っているからだ。
高齢者になって我が子に迷惑かけるぐらいなら、私は早く死にたい。
子どもをあてにせず、老後のために貯金しておく。
子どもをあてにしているから、いざ老後になると貯金もなく、結局は身内に迷惑かけるんだと
大抵の人はそのように思っているだろうけど、貯金出来るだけの協力をお前はしてきたのか?と問いたくなる。
早く死ねばいいのにと思われながら世話されるなんて、本人にしてみても喜ばしい事ではない。
そのくせ、介護してもらっているのに感謝の気持ちすらない!って、当たり前じゃないか。
以前、少し書いたと思うけど、介護と言う言葉は、どちらも助ける、守る、と言った意味がある。
介と言う字の中には、身を守ると言う意味もあり、狷介と言う意味も含まれている。その意味はと言うと
頑固で自分の信じる事を守り、他人に心を開かないと言う意味なのだ。
つまり、守り助ける人の態度ひとつで、介護を受ける側の心が閉ざされてしまい
結果的に両者にとって悪影響を及ぼす。 それが介護なのだ。
話を介護ではなく、違う事で例えてみよう。
高級ブランド店に買い物に行く。店員が気配りも出来、親切丁寧な接客をしてくれる店員であれば
気持ち良く買い物も出来るだろうし、財布の紐が緩んで、余計なものまで買ってしまうような事もあるだろう。
後になって思えば、予想以上に出費しちゃったと思うかもしれないが、それでも気持ち良く買い物出来たから
それで良いわと満足してしまう事も多い。
ところが接客態度も悪く、気配りも出来ない、しつこく付きまとってきては、欲しくもない商品を
次から次に持ってきてすすめられる、売上しか気にしていないような店員であれば、最初は買う気満々で
お店に行ったはずなのに、店員のせいで財布の紐もかたくなりこんな店二度と来ない!となるものだ。
店員の態度ひとつで、自分の心がオープンになるかならないかが左右され、嫌な思いをすると、それが
数日たっても後を引いたりするものだ。
相手の心を開かせるには、自分の心を開かない限り無理なわけで
年寄りに今から変われ!って言ったって変われるはずはなく、だとしたら自分が変わるしかないわけだ。
身内だから先入観を持つなと言っても無理だろうけど、昔はこうだったから、あ~だったからと過去の事を
持ちだしたって、ボケてしまえばそれさえ意味を持たなくなる。
ボケた後、これから先どうするかを考えて行動しなければ、自分で自分の首を絞めるだけ。
実際、過去も現在も含めてボケもなく、本当にどうしようもない年寄りもいたりするが、
自分の両親や兄妹、祖父や祖母に対し、早く死ねばと言う思いがあるなら、無理に介護する必要はなく
さっさと施設に入れるべき。 その方が互いに楽だ。私は何年も介護し続けて苦労しているんだから!なんて
自慢話にもなりゃしない。
介護をしている人同士の苦労話で盛り上がるのは悪い事ではない。
そうそう、そうなのよって共感し合うのも悪い事だとは思わないけど、そんなに苦痛で迷惑ならば
苦痛にならない方法を見つければ良い。嫌々ではなく楽しめるよう努力してみりゃ良い。
てか、私の母親も祖父母に対し、もし早く死ねばいいのにと言った態度で介護をしていたとしたら
私自身、自分の母親に対し、同じような思いを抱いていたかもしれない。
親が子に与える道徳教育の影響はとても大きいもので、自分より目上の人を敬えない人は
自分より目下の人に敬えられるわけも無い。
本当に嫌なら、事件になる前に施設に入れて欲しい。
毎日嫌な思いをして人生の最期を迎える程、悲しい事はないではないか。
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