間引くこと
なすを育てていて ふと思う
間引くことは文化かもしれない
小さな子を間引くこと、それは 環境によって文化だった、周りが求めたことだった。ある程度当たり前だったろうね、きっと。知らないけれど。
周りの皆が食べていけるように、と。選択された手段。
大きなスパンでいったら、より大きな存在が、より大きな数を間引くことも、同じような考えなのかもしれない。地球存続のために?住みやすい地球のために?選択された手段。
どちらも、間引く側にとって、よくもわるくも、間引く人が選択した手段。
幼い子はどうにかしたら逃げられたかもしれない、いまの人間たちも どうにかしたら逃げられるのでしょう。きっと。
================================================
◇小さなはなし 大きなはなし
◎小さなはなし ナスくんと私のはなし
間引くことは、素敵な実の欲しい人にとっては 嬉しい手段
間引くことは、ナスくんにとって 育てる人の喜びを感じて 喜ぶかもしれない
ナスくんにとって、よりきれいな花を咲かせて、より大きな素敵な実をつけられることが喜びかもしれない
◎大きなはなし ひとりひとりの人間と より大きなもののはなし
間引くことは、より大きなものにとって喜びでしかないかもしれない。目的は知らないけれど、その手段こそが目的なのかもしれない。
もしかしたら、地球だって この歴史だって 喜んでいるのかもしれない。
より大きなものが 力のあるものが選択したのだから。選択に良い 悪いは何もなくてね。
ナスくんを育てる私と同じ立場なのかもしれない。
================================================