突然の肺がんの宣告から手術を受けた母。




手術は予定より長い時間になったものの
無事に終わりました。

初めての大きな手術、しかも肺がん。


体と心へのダメージは大きく
起き上がれるようになっても
食事が喉を通らなくなった母。

ただ、傷が落ち着いて退院の日がくれば
病院からは出なければならない。

体力も食欲も戻らないまま
不安だけを抱えて自宅に戻りました。



2週間後の受診の日
日常の生活もやっとの日々を送る母に
追い討ちをかけるように告げられたのは

がんがリンパ節に転移していたことでした。


転移を告げられた瞬間
あまりにショック過ぎて
後のことは
よく覚えていないと
生前、母は話していました。



その後は
抗がん剤治療の入院、
効果と影響を確認するべく検査の連続。


ただただ
少しでも良くなるようにと
目の前のことだけを見つめて生きる
そんな日が続きました。


でも、
体の色々な所へのがんの転移が起こり
さまざまな症状に向き合い、
闘病という言葉がぴったりなくらいに
ガンと闘うこと3年。

母は73年の人生を終えました。





母は闘病の間ずっと
自分で自分の治療を決めていました。


医師と相談して
自分で決める。


決めた後必ず口にしていたのは

"私は死なない"

という言葉。



私たち家族に話す
強そうに見えるこの言葉は、

母が自分自身を
叱咤激励する言葉だったのだと思います。




ただ、
抗がん剤治療の効果が見られず、
もう、
そう長くは生きられない
という局面に入った頃も

"私は死なない"

と言い続ける母には、

闘い続ける道
以外の選択肢はありませんでした。



脳にガンが転移して
脳全体の放射線治療を受けた後
程なくして
認知症の症状が出始めた母。

その後
亡くなるまでの治療に関する全ての選択は
家族に委ねられました。



最期の時間のことを

何も話せないまま、

本人の意思が確認できないまま、


命そのものにつながる選択を

家族がする。


その重さは計り知れないもの。





母はどうしたかっただろう?


それを想像しながら
後戻りできない決断を下す。


決めた後、
悪くなっていく母を見て
決断は間違っていたのだろうかと悩み、

亡くなった後も
それでよかったんだろうかと
後悔しない日はありませんでした。



ガンとわかってしまったら

死の話はできません。


病気がわかってからや

病に倒れてからでは遅すぎるのです。



大切な家族に

死の辛さを超える後悔を残さないためにも、


自分自身が

こんなはずではなかったと

思わずにいられるためにも


元気なうちから

死を考えてみる。



それが

とてもとても

大切なことだと思うのです。






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