母の体調ですが、寝たきりとはいえ
少しだけ持ち直して来ました。
月曜の夜、就活の合間をぬってやって来た
わたしの長男(初孫)が会いにきた時より
目を開けてそれなりに会話に反応するし
(夢と現つとゴッチャの事もあるけど)
脚を曲げて動かしたりが増えました。
自分の力で寝返りは難しいですが、
数日前の脱力し切って大の字に寝ていた
時より良くなりました。
何より嘔吐が止まったことが大きいかも。
病院行って立ったり歩いていた先週から
大量に嘔吐が何度もあったので
一気に脱水の状態にあったのかな…

吸い口の容器を使って水分と高栄養の
ドリンクを小分けにして飲ませ
細かくチビチビと、間を開けてみました。
(本人がグビグビ飲もうとするのを止めた)
素人なので想像ですが
肝臓膵臓の腫れで圧迫されていると
思われる胃やその先の腸への通り道?が
狭いから沢山入らないのでは、と
考えてこの数日対応してきました。
水曜日くらいから受け答えの反応が
割としっかりして視線もまだボーっと
しがちながら、目を見て会話が
できるようになりました。
少し持ち直してほっとしました。
がんセンターと往診医への
つなぎのたった1週間もしない間に
急に悪化する…
がんって、しかも小細胞がんって
怖いッ

母のこの急変に、家族だけでなく
沢山の方に対応を急いで頂き助けて
頂きました。
まず、自宅での体調を管理して貰っていた
訪問看護師さん。
がんセンターとケアマネージャーさんに
すぐ連絡をしてくださり
往診医への手続きが最短で繋げられるよう
動いてくれました。
合わせて母の水分補給の仕方のアドバイス。
月曜に相談で行く予定だったがんセンターの
ソーシャルワーカーさんも、母の容態と
繋ぐ先の往診医が決定している事から
横浜まで来なくても月曜朝イチの電話で
急ぎ対応するからと言ってくださいました。
介護用品の業者さんも電動ベットの
手はずを最短で整えて持って来てくださり、
持ってきたベットも、母の状態から翌々日
には退位交換できるものと、
エアーマットタイプに交換と即断即応で
対応してくださいました。
ケアマネージャーさんも、週明けから
足繁く通ってくださり、
また
往診医の先生にも初診が最短で済むよう
連絡し様々アレンジしてくださいました。
そして、がんセンターから往診医へ
超高速で母のこれまでの診療情報が届いて、
往診医の先生から電話で弟に現在の
状況のヒアリングがありました。
わたし達家族に、この様な急な変化に
驚きさぞ不安に思われたでしょうと
労りの声をかけ。 そして、
これからは何か容態変化があっても
在宅で対応できるので安心してくださいと
言ってくださいました。
往診の先生と繋がりがとれて
ほんと、一安心です

きのうの祝日も予定外でしたが
訪問看護師さんに来ていただきました。
そして今日金曜日は、
これまで週一のルーティーンで来てくれる
いつもの看護担当の方が来られます。
1週間前、がんセンターから帰宅した
翌日に訪看された時は、母も
奥の自分の部屋から歩いてリビングに
やってきたのに。
そした、担当ナースさんに
「
緩和になっちゃったよ〜
」


なんて会話していた母。
看護師さんが、
「これからは抗がん剤で入院の忙しさも
なく、副作用の辛いのもなく、きっと
落ち着いてのんびり温泉に行ったり、
好きな料理や植木やお花の手入れを
お家でしましょうよ」
なんて、沢山励ましてくださっていた…
ほんの先週の事。
庭先で母が育てた椿が綺麗だと褒めてくれた

その椿を見る、心の余裕がやっとできたな。
ここまで怒涛の1週間。
午後、母はいつもの看護師さんと
どんな感じで話せるかな。
話す相手が誰か、はまだわかるけれど、
頭の中では料理や家事しているつもりの母。
何かアヤフヤな会話になりがちでも
きっと笑ってくれると良いなぁ。
目を開けて会話してくれるだけで
それだけで嬉しい。
そしてふと…、
がんセンター最後の診察の際、
主治医に余命は…?って
聞きそびれたなぁ〜

そんなことを思い返しました。
でももうここまで来たら関係ないな。
一日一日を大切にして行こう、
そう思います。
これから
仕事に行って、その後その足で実家へ。
今日は電車🚃移動なので、
ブログアップができました。
ではまた。
イイねや励まし感謝です🥲