青空のように 小細胞肺がんの母とわたし -4ページ目

青空のように 小細胞肺がんの母とわたし

母の闘病記。当初限局型でありながら完治しないと言われ2ndオピニオン等諦めてしまった母。しかし標準治療を取らなかった最初の病院に疑問を持ち県立がんセンターに転院、完治目指すも間に合わず多発転移、放射線治療抗がん剤を終えて在宅で緩和ケアがはじまりました。


こんばんは三日月


暖かいと思ったら寒かったり

季節の変わり目ですね。

実家の近くの川沿いの河津桜も

だんだんと葉桜になってきています。


母が緩和になってゆっくりできたら

やりたい事のひとつが河津桜を

見に行くことでした。

あっという間に動けなくなり

外にでるのも叶わずぐすん

ひと枝貰った🌸を一輪挿しに入れ

ベットから見える位置に飾って

時々喜んで眺めていた、それから

もう3月になりました。

ソメイヨシノは間に合うかな…。




今日も実家に行っておりました。



先週末からゼロゼロとした呼吸に

痰の絡んだ音が混ざるようになり、

薬の服薬や水分補給などをすると

咽せること咳き込むことが増えました。


また横隔膜の痙攣でシャックリもあって

(肝臓に転移したのが神経を触るらしい)

水分を飲み込んでしばらくすると

ウッ…と、胃から迫り上がるものがあって

頭を高くしていても苦しげだったりショック

しばらくゴホゴホ咳き込んでしまってます。




水分補給がだんだんと難しいです。


小分けにしてひと口を休み休み含ませて

決して無理に飲ませていなくても

ゲホッゲホッガーン

でも本人は喉乾くのか沢山飲みたい

苦しげぐすんなのは見てると辛い。





どうしたものかショックと思っていたところ、

弟の嫁ちゃん義妹がこんな便利な

アイテムを買ってきてくれました




これを使って先程 夜の服薬と水分摂取を

したら、むせずに上手くいったよ、と

LINEで義妹から報告がありました。


ありがと〜にやりヨカッタ。






母は日々、身体状況と意識レベルが

落ちて行っています。



先週までは会話ができたけど

この週末からほぼ反応が返ってこない。


たまに

「ウーーーん…」と言ってたり

体位交換や着替えをした時に

「イタッ」と呟く感じ。


でも薬飲むから口開けて、と声をかけると

アーンとするから意識はある。

分かっている。




身体を拭いていて気付いたのですが、

元々色白な人だったのが黄みがかってる。

たまに開ける目の白いところも。


やはり肝臓の転移が憎悪してるのかなしょんぼり


しきりにあちこち痒がる時があったのも

肝臓の転移のせいみたいです。



また時々痙攣もするようになりました。

こちらは脳転移、髄液転移からかなと。



首がいつも左を少し向いたままになり

筋肉の拘縮も始まってます。

寝たきりだしどうしても仕方ないとは言え…

向きを直そうとマッサージをしてみたり

温めてみたけれど、直そうとすると

びっくりイタッと言うので諦めました。



足先も、片方はポカポカなのに

反対はすごくヒヤッとしていたり、と

チグハグな感じ。

体温の維持も脳からの指令がうまく

いかなっているのかなうーん






きのうから父は母の介護ベットのある

リビングに布団を敷いて一緒に寝るように

なりました。


残り少ない時間を共に過ごしたい、

そう弟夫婦に話し、わたしも是非そう

してと伝えました。

父のためにも、母のためにも。




そろそろ母のそばで夜の見守り番が

必要かな…と思っていたところ。



娘の卒業式と高校の入学説明会が今週末。

それが終わったらわたしも実家に泊まろうと

思っていたところ。






明日は母の好きなみかんジュース🍊を

買って行って、とろみ付けてあげたいな。

口から飲めるのもあともう少しかな。





では、また。

おやすみなさい🌙


そしていつもありがとうございます🎀