青空のように 小細胞肺がんの母とわたし -3ページ目

青空のように 小細胞肺がんの母とわたし

母の闘病記。当初限局型でありながら完治しないと言われ2ndオピニオン等諦めてしまった母。しかし標準治療を取らなかった最初の病院に疑問を持ち県立がんセンターに転院、完治目指すも間に合わず多発転移、放射線治療抗がん剤を終えて在宅で緩和ケアがはじまりました。


きのう夕飯の少し前まで実家で母と過ごし

じゃあねと別れて…、

そのあとは夜の22時の服薬で

義妹がとろみを付けて飲ませてくれて

うまく飲めた〜と報告をLINEで聞いて

良かったーとありがとうと思っていたら。




今日のお昼前、職場に弟から電話が📞




今日は弟と父が居て、義妹は仕事へ。


午前中、訪問看護のナースさんが来て

母を見て呼吸の状態などから弟に

家族など会わせたい人を今日のうちに

出来るだけ呼んだ方が良い、と。


血圧が腕を通して測る機械では測れず。


ナースさんが血管に聴診器🩺をあてて

耳で聴く方法、

それでやっと上が取れて60あるか…

下はもう分からない、と。


呼吸も上半身でするくらい荒く

血中酸素濃度が80前半。

何度か測って一時は70台だったり


酸素吸入をした方が良いとの事で

往診の医師にも連絡が行き、

午後には業者さんがすぐに酸素の

機械を届けてくれました。



わたしは仕事を終えて

中学の娘を早退させて一緒に急ぎ実家へ。


そして実家に着きました。

きのうより遥かに息苦しそうにする母。


埼玉でひとり暮らしのわたしの長男も

電車で向かってます。



今夜はみんなで母を囲んで

過ごそうと思います。