行って参りました、県立がんセンター🏥
体幹部のCT撮影の結果を聞きに。
腫瘍マーカーの上昇から
(前回127、が最新で399)
小細胞がんが潜んで活動してる?
との主治医の読みでしたが
CT画像では明らかな所見が見つからず。
原発巣の肺の縦隔部から鎖骨リンパも
目で見る限り
3月〜4月の放射線治療後に縮小してから
その大きさや広がりはほぼ変わらず。
唯一…
新しく何か?現れた所見は
肝臓にほんの少し
小さな、小さな影?
モヤっとするのがあるかな〜…
しかしまだ転移だ、と言い切れる程の
ではないそうです。
母本人が違和感を唯一自覚しているのが
左の腰骨(蝶骨)が少し押されるとイテテ
となるくらい。
骨転移☠️??
でもそこもCT画像には何もなく
知らずに打ち身したか、
横向きに寝た時にちょうど体重がかかる
ところなので
少し痩せて骨が出たから?と様子見。
こうして新たな発見には繋がらず
なので主治医よりここは
「ひと月経過観察としましょう」
となりました。
なので次の診察は7月の末、
また体幹部のCT撮影そして血液検査で
腫瘍マーカーを見る予定です。
母と父、弟が帰宅して
結果の報告聞きにと顔を見に実家へ
行ってきましたが🚙。
これまで診察のたびに何かしら
新たな状況と局面に突き当たり
入院したり治療したりと来たので
[シバラクナニモナシ]
の状況に
チョット拍子抜け&不安でムムム〜…

お茶を飲みつつ家族ミーティングでしたが
話し合いの結果
健康診断からちょうど約1年経ち
お休みを貰ったみたいね、と
そう、前向きに話し合いました。
もちろん、
肝臓の微妙な影…
そして全脳照射で消しきれなかった
左側頭部の転移巣…
肺の原発巣も臓器の重なる複雑な場所
目で見えなくてももしや復活?
…
考えれば不安は尽きず。
増殖スピードの速い小細胞がんですが、
この約1年、
病いと向き合ってきて
ひとまず小休止です。
ここに来て母の体力もだいぶ戻り
この日は検査や医師が忙しかったのか
朝9時に家を出て午後3時の帰宅と
長丁場でした。
いつも通院から帰宅すると昼寝〜の
流れがナシで起きて居られた
わたしも昼寝してるかな
と思って実家に
着いたら起きてたのでビックリしました。
体力気力も戻ってきての
このタイミングで一休みはありがたい。
父と母が好きな温泉にでも行けたらなぁ
そう思います


うれしい傾向がもうひとつ。
闘病が始まってずっと人目を気にしていた
母ですが、外出することにもだいぶ抵抗が
薄れたようです。
昨年9月にがんと告知され、
そのショックから、ほぼ誰にも告げず
社会との接点をバシっと切った母。
パートもスパッと辞め(周りビックリ)
ある意味気丈だなぁ…と
思えるけど。
友人、知り合いご近所さん兄妹親戚とも
会う事を拒んでいたのですが…。
最近徐々にですが、ご近所さんと
会ったりしてるそうです。
今までは
洗濯物を干すのも早朝にササッと済ませ
取り込むのも父、又は自分でサッと。
ゴミ出しも父か二階の弟夫婦に任せて。
食材の買い物も近くのスーパーより
少し遠くで知り合いの居なそうな所へ…
そう過ごして来ました。
友達やパート仲間から時々電話は
貰っていたのですが
「今はチョット忙しくて」
「お父さんの病院があったり」
(父を病人にしてパート辞めた)
なんて言ってやんわり避けて
ほぼ家族以外と会わず。
唯一 若い頃からお世話になった
叔母の葬儀の時だけ列席、
でもその時は呼吸苦が始まりつつあり
咳も酷かったので、早々に帰宅でした。
でも、徐々に心の変化が現れたのは
県立がんセンターに転院し通出だしてから。
再診受付の横の【本日の予約数】の
数字や、院内を行き交う人を眺め、
時々そうポツリと呟く事がありました。
毛髪は今が一番抜けてはいるけど、
2タイプ用意したウィッグをかぶって
通院しています。
また、体調も戻り少しずつ草むしりや
家の外回りの事をして過ごしてます。
そうしてると、
自然とお隣りの奥さんや
通りかかりのご近所さんが
「久しぶり〜、〇〇子さん!」と
声かけて挨拶をしてくる。
で、立ち話をするようになったそう。
ご近所さんから毎年頂く好物のスモモ
ちょうど食欲落ちていた時に
爽やかな酸味と甘味で助かったそうです。
今まで母はトレードマークのオカッパ
ヘアスタイルだったのですが
ウィッグ(ショートヘア)になり
やっぱり会う人気づくんでしょうね〜
「白髪染めたのー?」
「髪型変えたー?」
と、聞かれるそうです。
母は「
まあね〜そうなのよ」と
その都度適当に惚ける感じで流してるそう。
パッと見るとやっぱりウィッグ感が
わかる人はわかるし、
隣りの奥さんは聡い人なので
母の変化に感づいているだろうな〜
でも母は決して『がん』だとは
言いたくない
キリッ
なので、母にアドバイスをしました。
もともと肌が弱い方なので
変にあれこれ勘繰られるのがイヤなら、
『白髪染めが肌にもう合わなくて
お洒落でウィッグを被るようにした』
と言うことにしましょうよ、と。
と、明るい表情で受け止めてました。
前は現実を受け止めきれず
悲観し「何故の嵐」
一時は鬱も
ありましたが。
先日の診察での様子や、日頃の言動からも
『
仕方ないガンとお付き合い』
そう心の持ちように
切り替わりつつあります。
時には波のように揺らぐけれど
今は落ち着いて時を過ごせています。
なので、このひと月弱は
この先の治療にむけて!!
母はもちろん、父や弟、わたし
伴走者である家族も
病いを横に置いて、
しばしお暇〜

(ドラマ 凪のお暇 好きでした
)
今日も最後までお読みくださり
ありがとうございます。
