ステージⅣの告知 ショックも前向きに | 青空のように 小細胞肺がんの母とわたし

青空のように 小細胞肺がんの母とわたし

母の闘病記。当初限局型でありながら完治しないと言われ2ndオピニオン等諦めてしまった母。しかし標準治療を取らなかった最初の病院に疑問を持ち県立がんセンターに転院、完治目指すも間に合わず多発転移、放射線治療抗がん剤を終えて在宅で緩和ケアがはじまりました。

ステージⅣを告げられた時のことを

もう少しだけ。


最初にかかった市民病院で抗がん剤を

1stライン4クールやり切った昨年末
(訂正:5クールでした)

レントゲンやCT画像で見る限りは

原発巣のガンは広がりが抑えられている、

かに見えていたのですが…

年明けての血液検査で腫瘍マーカーが↑ガーン

市民病院からは2月から次の治療として

また別の抗がん剤を提案されました。

ここで母本人はもちろん、わたし達は

放射線治療を選択しないで来たことに

納得行かず、セカンドオピニオン希望

からの紹介って形で

県立がんセンターに転院。


最後の抗がん剤でガンを叩いてから

転院したりと無治療期間が約3ヶ月弱。

この間に小細胞がんの組織はあっと言う

間に増大びっくり

母の大静脈や気管支を圧迫し

一時は呼吸苦と上半身の浮腫みで

車椅子でないと動けないほどでした。

しかしなんとか持ち堪えて

県立がんセンターでの放射線治療開始が

間に合い、かつ効いて

今では本人も無症状なくらいに回復。


脳転移の検査は県立がんセンターに

転院しすぐの2月にしていたのですが

その時には怪しい影はなく

まずは肺の原発巣のガンを叩くことに専念、

というステップでここまで来ました。



しかし小細胞がんは増殖が速いショック

ほんとスピードマスターですねあせる

肺の放射線治療が終わり一区切り、と

2月の次って事で5月の半ばに脳CT検査。

脳への転移がないか結果を聞きに行く日は

母、父、わたし、弟の4人が揃った日で

呼吸苦で一時はヤバかったね〜

あの時乗り越えられてよかった〜と、

そして転移してないと良いね〜と

うん、ドキドキするわ〜

なんて話しながら出発リムジン後ろリムジン前

帰りはお昼頃、通り道で気になってた

讃岐うどん屋さんに寄ろうよ、なんて

ペチャクチャ車内で話していました。

新型コロナウィルスの自粛が解除され出し

ずっと外食外出をセーブしていたので

こんな日くらいは外食して帰ろうね〜

なんて話していました。


でも、呼吸器内科のドアを開けたら

「大勢で来てすみません」という

最初のこちらの挨拶に主治医が即、

「いえ、むしろ皆さん揃いで良かったです
 実は局面が変わりまして、脳に転移が
 見つかりました」と。

ガーンガーンゲッソリアセアセエエ〜〜〜!!



たしかに全員揃って話しを聞けて

良かったといえば良かったわけでぐすん


主治医の説明では
「肺の原発巣を放射線で叩いている間に
 脳に逃げられてしまいました」
と。

えーんガーン逃げるんだ💨


CT画像を見せられながら

パッと見たところ確認できた箇所の説明

弟とわたしは

小脳そして脳幹の橋に転移してる事に

かなりショックでしたショボーンアセアセ

主治医は今後の治療の選択肢で

「肺の照射が終わったところですが
 脳にも放射線治療をすぐにやりましょう」

と、そして

「おそらく全脳照射となると思います
 この後脳外科と放射線科のドクター達とも
 検討をしますがほぼ全脳照射です」

ときっぱり。

また、この全脳に照射するのは一度きりの
治療になる、との事でした。

もし万が一、この先でまた脳に再転移、

なんて事になったらその時は

個別に照射する治療との事でした。


主治医はすぐ治療に取り掛かるべきだし

そうしますか?!と選択を迫られ、

と言うより、もうやるったら今でしょ?!の

勢いに感じられました。

もちろんわたし達としてもこうなったら

お願いするしかない!となりました。


では!と机の上の病院端末PCに向かい

主治医はあっと言う間に

全脳照射への準備&治療の予約をポチポチっ

放射線科と脳外科への診察予約をポチポチっ

「ハイッじゃあ忙しいけどこの数日で準備し
 また来週月曜から放射線科で全脳照射
 やっていきましょう!頑張りましょう!」

普段からハキハキとしてるドクターウインク

いつも以上になんだか応援してくれてる

頼もしい感じがとても伝わりまして、

ショックではあるけどやれる治療がある

そう前を向ける感じになりました。

弟とわたしは
「この先もどうぞよろしく」と伝え

父母も続いて「お願いします」と。



こうして、4人揃って診察室を出ると

母と父は見るからにショックショボーンショボーン


診察室に入って転移が告げられてから、

びっくりは主治医の話しがほぼ頭に入ってない

その事が後からわかりました。

ガーンもメモ📝を手にして居たけど

ほぼ書けてませんでした。


がんセンターの廊下を

ショボーンショボーン 
↑こんな顔で歩く父母の背中を

弟とポンポンしながら会計手続き諸々をし

がんセンターを後にしました。


帰りの車内でやっと母が

ガーン「あぁ〜転移しちゃってた〜〜あせる」と

嘆きの本音タイムがスタート。

わたしや弟、父もショックを受けつつも

本人がまずは吐き出せないとなぁと思って

母が出す言葉を受け止める側に。

ショボーンあせる「いやぁ〜ショックだわ〜〜〜」

しばらくゲロゲロ弱音吐き出し。

じっと聞いて「うんうん」と。

そうしないと強がりの母なので

ため込ませる方が後々モットよろしくない。

うーん「そうだねーそうだねー」と

全肯定で受け止めタイムが続きました。


しばらく車で走ると少しショックを越え

母も少し落ち着いてきてニコ

「でもこうして家族みんなに付き添われ
 転移の話しが聞けて良かった、
 もしわたしとお父さんだけだったら
 もう耐えられなかったかもキョロキョロ

「お姉ちゃんと〇(弟名)が一緒で良かった」

そうポツリと。

そこから、良かった探しモードに入り

すぐに治療ができるから良かった、と。

皆なの感想が一致!

母もニコ
「ショックで頭にあんまり入ってないけど
 また来週には治療スタートだし
 K先生(主治医)がパソコンでどんどん
 手続きしてくれたし(予約のこと等)、
   この間まで通ってたのと同じ所で
 受付けの人やナースさんや技師さんに
 またお世話になるんだから、脳とは言え
 同じことするんだから
 きっと大丈夫かも…キョロキョロ


肺への照射で1か月通ったがんセンターの

リニアックのスタッフさん達が

「とても良くしてくれる」と

母はすっかり頼りにして居まして、

前向きに治療に通えてたのです。

心のこもった対応を肌身に感じられる

挨拶やちょっとした言葉かけ、

また、検査で横になり起き上がる際など

手を添えてくれた、とか…。

小さな事でも日々の治療の度に

暖かい対応が心に響いて居たから。

だからか

今度もまた頑張るわ」お願い

そう気持ちが落ち着いきました。


本当その通りだと思います。

ありがとう県立がんセンター。




そうこうしている内に

往きにお昼を食べて帰ろうと話してた

お店が近づいてきました。


母に「ショックで食欲はない?」と聞いたら

案外お腹空いたグラサンよ、と言うので

予定通り立ち寄りましたほっこり


店内は窓やドアを開けて換気バッチリ

転移にショックはショックだったけれど

また治療頑張ろうね〜と

心を前向きに保つべく、

腹が減っては戦はできぬだと。

うどんが大好きな母

肺への放射線治療の副作用で

一旦落ちてしまった食欲も

この頃には通常モードになっていて

好物のカレーうどんを一人でぺろりチュー〜♪




わたしは明太ラブ釜玉 こちらも美味しかった!


あったかいもの食べてお腹も落ち着いて

照れまた頑張ります!」と

本人がテーブルで宣言してくれましたアップ

ほっこりほっと一安心



まあ、母の前では平静で居ましたが

わたしもこの後ショックと後悔に

苛まれるのでしたが、それは帰宅ししょんぼり

後のこと。


でも今はこうして立ち直って

振り返りつつブログを綴って居ますよ。


母のステージIV告知はこんな感じでした。




とっても美味しいうどん屋さんでしたので

皆さまにもおすすめします。

藤沢町田線467号線沿い