「どうせ完治しない」 | 青空のように 小細胞肺がんの母とわたし

青空のように 小細胞肺がんの母とわたし

母の闘病記。当初限局型でありながら完治しないと言われ2ndオピニオン等諦めてしまった母。しかし標準治療を取らなかった最初の病院に疑問を持ち県立がんセンターに転院、完治目指すも間に合わず多発転移、放射線治療抗がん剤を終えて在宅で緩和ケアがはじまりました。

インフルエンザからのめまい症状から復活
忘年会シーズンも重なり毎日バタバタと
過ごしております。

ブログもなかなか現在の状況に追いつかず
日々過ぎていくばかり🕜
更新する内容が過去のことだったり
今のことだったりで、分かり辛いかも、
スミマセンあせる
自分でも少しこんがらがってる
はてなマーク真顔はてなマーク


今の状況を整理すると、
母は現在1stライン第3クールを終え
自宅で療養中です。
来週からまた入院し第4クールスタートで
🎄クリスマスを前後し1週間くらいの入院
年末退院しお正月🎍は家で迎えられる?
そして白血球数がガツーンと下がる頃には
また病院も年明け営業がはじまり
何かあったら対応が素早くとれるのでは?
なんて、弟と予想して話してます。


さてインフルエンザが治癒した頃に
母から電話があり、話しがあるから
聞きに来て欲しいと連絡がありまして
先日の月曜、実家🏡へ行って参りました。

予想通り、母、抑うつ状態で落ち込み期の
真っ最中におりましたショボーンダウン

笑顔がなく表情も固くうつろ。
口では元気そうな事をはじめは言って、
わたしやわたしの娘(孫娘)の体調を気に
かけていながらも、とにかく覇気がナイ。
分かりやすいくらいに落ち込み〜〜ダウン

きっおそうだろうなぁと電話の声や
話しぶりで予想してた通りでした汗

実家についてまず目についたのがこちら
靴箱の上に可愛いコンバース❤️
🍒🍋🍏🌽柄が可愛い❗️

ラブわーッこれどうしたの〜?」と聞いたら

自分がまさかガンと思わない頃見つけ購入。
しかし検診から最近までバタバタして
忘れてたのを思い出し今日出したんだそう。

でも
「今は履いて出かけるところも無いし」
「どうせ病院と家の往復しかないし」
「もう履く事もないからアンタにあげる」
なんなら、孫娘にでも、と。
ショボーンダウンダウンダウン

いやいや、可愛いし普通に今日でも良いから
お母さんが履きなよ〜と言ったところから


泣き言と弱音が堰を切ったように溢れ…
ショボーンあせるあせるあせるあせるあせるあせるあせる


だいたいこんなセリフをずっとループ

完治しないなら何もしたくない
「もう抗ガン剤もやりたくない」
「入院もしたくない」
「こんなに苦しいなんて」
どうしてこんな(ガン)めにあうのかな」
「どうせ治らないなら」⇦これ多かった
「髪もこんなに抜けて惨めだ」
「近所の人はもちろん誰にも会いたくない」
「こんなヒドイの人に見られたくない」

そして途中から父への不満と憤りへ変化

「どうしてお父さんはむかっ
「わたしの事ちっとも分かってくれない」
ムキームキームキーむかっむかっむかっメラメラメラメラメラメラ

この辺でメソメソからスタートしたのが
泣いてるけど怒りのパワーが少し漲り
ドヨーンから上向きになってきた感じ真顔汗

たぶん言うだけ言って吐き出して
チョットすっきりしたのかも。
出だしのメソメソが、だんだんやさぐれに。

少しはこちらの言うことに耳が傾けられ
そうな顔になったので

ずっと否定はせずウンウンと傾聴してたけど
今度はわたしのターン!

とにかく「完治しない」という医師の言葉が
ジワジワと母にボディブローできてる。

夏の発病、検査、告知、入院治療スタートと
流れに任せてきていた母
頭でわかっていても気持ちは受け入れがたい
のが現実。

何より目に見える髪の抜け落ち。
この日、どうなの?と聞いたら帽子を取り
わたしに見せてくれましたが
かなり減ってました。
丸っ切りではないけど、豊かな髪のひと
だったのが、白髪染めもせずにいるしで
残りの毛はほぼ白く、まあ明らかに
知らない人が見たら
「!髪の毛どうしたの?!」というくらい
抜け落ちていましたぐすんぐすんぐすん

靴の画像でもわかるかと思いますが
母はお洒落が大好き。
鏡を見てこの姿が受け入れ難いんだろう。

ウインク「また生えてくるよ」というセリフは
返って「ムキーじゃあいつ!?」と思わせて
しまったかも。
気休めの言葉だったんだろうなぁしょんぼり

また生えるなんて言っておきながら
実際この先 抗ガン剤もどのくらい続くのか
わたしも母もみんなまだわからない。

むしろ想像するにこの先もずっとしばらく
になるだろうと予想。

なので母の泣き言の
【完治しない=もうずっとこのまま】
ショボーンショボーンショボーン

母もこの先が何か見えない…と言い出し
たしかにわたしも父も弟もわからないねぇと。

主治医はあんまり先々のこと言わない先生。
母が良い先生だと信頼しているけど
わたしは実はあんまりそう思っていない。
転移してない現状だけど、転移が怖いって
話しを投げても、あまりそこを汲み取る
発言が前の面談でなかったんですよね。
たしかにこれから抗ガン剤投与スタートで
今はその時でなくても、定期的にはどんな
チェックや検査をするのか、とか
先々の見通しを説明してくれなかった。

ここはわたしの患者家族の聞き方のスキル
がヘタなのもあるけど
ちょっとわたしの中で燻っていた点。

そして母の今の1番の苦しみは
泣き言をひとつひとつ整理していくと
先の見えないことの不安から。
そこだった。



母は自分のガンについて学ぼう調べようと
しないし、なんでも先生にお任せ、って
スタンスでした。
毎日顔見せてくれる主治医への全幅の信頼。

でもどうかしら?というわたしの気持ちうーん

そろそろお母さんも少し知ろうとしない?
見えない不安より一歩踏み出しませんか?
と伝えてみました。

次の抗ガン剤投与の後にでも
主治医の今後の面談を一緒に聞こうよと。

今までは
「お父さんやあんた達が聞いといて」と
医師の面談には不参加の姿勢だった母。

でも自分ごととして受け止めて欲しいし、 
受け止めきれなくても自分のことを
知らない不安の方が辛いのでは?と。

母も「ウン…それはそうねニコ」と
少し納得した感じ。

そして『この先完治しない』という
先生のセリフは本当なの?!と思わない?
(本当かもしれないけど)

今あるこの治療で果たして合っているのか
1番有効な治療法なのか素人のわたし達は
わからないんだから、やっぱり
セカンドオピニオンを聞いて見ない?
お母さんはそんな大層な事したくないって
最初からずっと言っていたけれど、

やっぱり
セカンドオピニオンしに行かない?と
提案しました。

1stラインが落ち着いたところで
医療の専門的知識のある人から
改めて、第三者の視点意見を聞きたいと
思わないー?と。

それでも今の先生がやっぱり良いなら
お母さんが選ぶのが一番だから
また今のままの病院と先生から治療を続ける
その選択肢もあるんだよ、と伝えました。
(この辺はガン支援相談で教えてもらった)

それでも
「うー〜ん…
  どうせ治らないならどこ行っても
   何しても変わらないわよ…」
と母のセリフはしばしループして居ましたが


ニコ… 、 …。』
少し響いている感じ。
うーんうーんうーん


セカンドをするしないを決めたいんじゃなく
知りたいかどうか、不安から抜け出すには
何があるか、どうしたら良いのか
それを考えてみてね、と、伝えました。

そしてムリ今 考えられないって思うのなら
無理せず、少し考えないのでも
それはそれでオッケー、と伝えました。



そして泣きながら感情を吐き出した途中から
父への不満が爆発した部分爆弾

結局2人でいる事で煮詰まってるんだな。

病名が告知される前日まで毎日働きに出て
それなりに父とハッピーセパレートして
過ごしていた日常がほぼ一緒でストレス。

父の何気ない言動にイライラMAX爆弾

また来週から入院なんですが
出来るだけ顔を出して2人きりにならず
買い物もわたしの家の方のスーパーに
わたしが連れ出そうかな、と。

いつものスーパーや出先は
いつ知り合いに会うかわからない。
(まあどんなに遠くても偶然もあるけど)
その不安から買い物にとてもナーバス
そしてそこに父の何気ない一言が加わり
イライライライラーーーーーッ
父も父で母がどこに行くにも付き添うで
悪循環汗
(純粋に心配だからなんだけど)


ちょっと離れてお互いリフレッシュ
しましょう、となりました。


月曜に母が不安と不満を吐き出し
週の半ばに電話で話し
金曜にまた顔を出したら…

顔つきが変わって前向きになってたアップニコ

そしてセカンドオピニオンの事
何もしたくないなんて言ってゴメンね
と。

買っておいたあの靴、わたしが貰わず
お母さんが履きなよ、と言ったら
「そうね、別にどこも痛くないし
   歩けるしね」とニコ

年明けて退院したら
この可愛いコンバース履いた母を
どこかドライブし連れ出そうかな
そう思います。