1stライン
カルボプラチン&エトポシド
第1クールの21日〜28の頃の話し。
骨髄抑制で下がっていた白血球数も
20日目を過ぎる頃には上向きになり

👨⚕️「週明けはもっと上がり出すでしょう」
と、主治医の読み通り
母の細胞が自力で回復し、それが検査で
結果に出ていました✨
月曜朝の検査結果でヨシとなり午後には
主治医から退院🆗が告げられ🙌
その日のうちに退院手続きを済ませ
晴れて退院帰宅❗️
はじめての抗ガン剤の投与から21日目で
退院の運びとなりました。
仕事中に母から喜びのメール📩が届き
わたしも仕事をあがって早速実家に顔出し。
すると、母が元気に戸を開け出てきました。
「はーいいらっしゃい
❗️」全力笑顔で。
やっぱり家は良いわぁ〜✨と何度も言い、
母の退院を知らない内孫達が
それぞれ学校から帰宅するのを
母が🚪「
お帰り
」と
」とドアを開け出迎えた話しを嬉しそうに語る。
孫たちもその度に驚きつつばあちゃんの
出迎えにワーッと喜んだそうです
3番目の孫からは早速お帰り〜に続いて
「ばあちゃん唐揚げ作ってよ〜
」の
」のラブコールがあったそうで。
そして母も母できっとそう言われると思って
退院の帰りがけ
その足でスーパーに
寄り、もう鶏肉買って揚げてあるの
と。
退院し孫であがるモチベーション



そして漲るパワー
母のイキイキとした様子に
「
やっぱり家は良いわぁ」と言いながら
家族の世話を焼くのが本当に生きがいなんだ
と改めて思いました。
そしてわたしの家の分まで唐揚げを
お土産に持って帰りなさい
と🙌
うちの娘もモチロン、わたしも好物
ありがたく頂きました。
でも流石に夕暮れてわたしが帰る頃には
疲れがでたのか今日はもうこれでお風呂
入って寝るよ
と。
うんうんそうね、そうしなよと勧めました。
退院と言ってもまだまだ自宅療養モード、
張り切りモードの母の気持ちを汲みつつ
内心 疲れてダウンしないか心配も…
でも念願の退院が叶った今日くらいは
好きにさせようと見守る父とわたし。
二世帯同居の義妹にも(弟は仕事)
また母をよろしくと伝えて帰宅しました。
母の抗ガン剤治療はじめの一歩は
こうして無事に退院となりました。
しかし、月曜に退院したと言っても
すぐまた木曜には外来の受診。
そこで血液検査やレントゲン、そしてCTを
撮ったりしました。
検査には付き添えず父と母のふたり。
その後結果を報告してもらうと…
数値など詳しくはやっぱり報告があやふや

でも明らかに白血球も良くなってると、
他の何か(多分腫瘍マーカー?)も
良くなってると、
CT撮影したのでも、小さくなった。
とにかく良くなってると言われたそう。
弟とわたしが前に心配した通り
細かなことは父と母だと難しい
なぁ。
出来るだけ付き添えたらと思うけど
なかなか難しいなぁ

そして退院したと思ったら次の治療予定が
決まりました。
10月29日から第2クールスタートに
向けて入院だそうです。
母が電話で
「退院したのにまたスグ逆戻りよ
」と
なんだか少し怒った声


父に📞代わってもらいもう少し詳しい
話しでは、今やってる抗ガン剤がよく
効いているうちに、次をやりましょう、
という話しだそう。
母的には退院したったの1週間で
また入院生活逆戻りにガーン
だったみたい。
小さくなってる、良くなってる、と
言われてもなんだかんだやっぱり
入院生活に抵抗感アリアリ

やっぱり痛みや症状もほぼない中での
闘病生活に抵抗感がある母なのでした。
父からも諭されたとは思うけど、
わたしからも、改めて説明
せっかく効いているのを喜ぼう。
そして副作用が酷くて治療に間が空いて
しまうより、お母さんはラッキーなんだと。
母の「うんわかった」と返事
…
どこまで伝わったものかしら

母にとってガンの治療の第一歩
ほんと、一歩一歩です。
小細胞肺がん
進行が早く 転移のリスクが高い。
母の肺の中で心臓大にまでなり
たまたま健康診断のレントゲンで影が
見つかった。
限局型と言ってまだ幸い転移無し。
しかしできた場所と大きさから
放射線あてるのに医師は積極的でない。
母も抗ガン剤治療と入院生活で
放射線あてることにもう嫌だ、と
言い出しました


長引く治療と苦しいのはヤダ、と母
でも(治療)しないと
「死んじゃうよ」…と返せなかった
わたし。
この先の治療はどうなっていくのか…
とりあえずでも退院が嬉しいのも反面、
この母の言葉になんとも言えない思いで
見上げた空。
母が退院しやっと少しわたしものんびり。
買い物し公園のベンチでボーっとコーヒー。
少しずつケヤキの葉が色づきだして
空は青く高く澄んでおりました。

