母のはじめての弱音 | 青空のように 小細胞肺がんの母とわたし

青空のように 小細胞肺がんの母とわたし

母の闘病記。当初限局型でありながら完治しないと言われ2ndオピニオン等諦めてしまった母。しかし標準治療を取らなかった最初の病院に疑問を持ち県立がんセンターに転院、完治目指すも間に合わず多発転移、放射線治療抗がん剤を終えて在宅で緩和ケアがはじまりました。


今日はこれまでの経過ではなく
ちょっと今のことをつぶやかせてください。

どうしてかと言うと、治療がはじまってから
はじめて母から泣き言ぐすんを聞いたので。

現在母は入院治療のかたちで
ファーストライン 2クール目。
先日3日間の抗ガン剤点滴も終わり
諸々の様子見で入院しています。


1クール目での副作用は
味覚が少し変化したこと
あと便秘とガス腹からくる張りで苦しみ
2、3日ほど難儀、でも薬で解消。

それと骨髄抑制で白血球数(好酸球)の
低下がかなりありました。
幸い本人はだるさ等の自覚症状がなく
ケロリとしていて何よりでしたが…
しかし同時に髪が抜け落ちだしましたドクロ

2コース目に入った今日も抜毛は続き
パラパラと落ちる日々。
散らかり防止の薄紙状のヘアキャップを
かぶって過ごしています。

母は定番のおかっぱスタイルで
毛量が豊かな人でした。
でも今日はじめてキャップを取って見せ
(なかなか見せたがらなかった)
かなり薄くなってました。
シャンプーするたび手の平分くらい
ゴッソリと抜けているそう。


吐き気や口内炎やダルサなどを想像して
いたのが、それらがほぼなかったのを
しばらくは喜んでポジティブに受け止め
「ひどい副作用がなく良かった良かった」と
繰り返して自分で言ってたのですが…

しかし毎日ひっきりなしに抜けだす毛
それが目に見え、落ちた毛を拾うたび
いかにもガン患者な様子で暗くなるそう。
(ドラマでガーンゲッソリってなるシーンだ、と
 自分で最初は笑って言ってました)

どこも痛くも痒くもなく突然のガン発見で
そこからあっという間に入院
それも人生で初めて病気での長期入院。

これまで強がって堪えていたのが
外泊してちょっとしてスーパーで買い物
そしたら自分の体力脚力のなさを痛感…
おまけにとうとう髪は抜け落ちるし
そしてまた病院にトンボ帰りで戻ってきて

とうとう挫け、たえーんえーんえーん

きのう顔を見に行ったら溢れ出る
弱音と涙がポロポロあせるあせるあせる

雑談からはじまり、今後の抗ガン剤の
予定の話しで来年梅が咲いて桜が咲く
その前までには抗ガン剤が一旦終わると
良いね〜と言ったら

母 「ウソ、3回(3クール)で終わりよ」
わたし
    「いやいや最初から5、6回は投与予定
        そういう話しだよ。
        一回やるとだいたい1ヶ月弱だから
        計算では春先ねって話したよね?」
        
母 「えーっそうだっけアセアセ聞いてない」
    「じゃあもう長い治療はしたくないむかっ

少し半ギレイラッ
からの弱気…ぐすん涙ポロリ
一滴💧出たらもう止まらず

    「何でこんなめに会うんだろうおーっ!あせる
      いっそ切除したほうが早く治るんじゃ…
      早く家に帰りたいぐすんぐすんぐすん
      もうこんな辛い治療やめたいショックショックショック
    
溢れ出る  泣き言・弱音・涙 
出るわ出るわガーンびっくりガーンびっくり


先生の話しをメモとか一切しない母

昔から難しい話しや興味のないことは
「よくわからん」という性格
ゴーイングマイウェイ

今回も自分の病いを積極的に知ろうとは
しません、本読まない、ネットもしない
(マイナスな情報を得ないから良いんだけど)

入院時に渡された抗ガン剤の本冊子は
「副作用とか暗くなるから読まない!!」
あんたが(わたし)が持ち帰って、と。
目をほぼ通してません。

「わたしは姉さん兄さん(義理)をガンで
   亡くしてお見舞いもしてたから
    イラッ治療については知識がある!」と
出だし散々自分で言っていたのですが…


今回の治療についても担当医師から
何度も説明や今後の予定を言われてる
はずなんだけど、
やっぱり自分の事となるとしっかり
頭には入っていなかったショボーン汗
むしろ受け止めきれてなかったのかな〜。

強がりの母なだけにね。
すっかりここで気力がダウンもやもやもやもやもやもや


そんな母の話しを
最初はウンウンと傾聴して
(わたしの我慢タイム)
そうよね、痛みや辛い症状もなく
突然の入院に戸惑うのはわかる。
副作用も幸いにして少ないとはいえ
毛が抜けるの目に見えて落ち込むよね
でも外科治療は難しい部位なの覚える?
副作用も一時的な便秘で止まってる
そう思えない?
治療やめるとかいくら何でも早すぎ〜
と伝えました。


吐きだすだけ吐いてスッキリしたのか
父と弟にはこんな弱音吐く姿見せられない
こんな事言えるのアンタくらいだよ、と
最後はゴメンねって謝りつつ
泣き笑いになってました。


とりあえず今辛いのは髪の毛かね、と。
でも抜けるの仕方ないし今後は外来で治療に
切り替わるだろうからウィッグを探す事に。

ご希望の退院し家に帰ることをイメージし
もしご近所さんや親戚が来客し
いつもいつも自前のニットキャップ
(本人はそれで乗り切れるつもりだったそう)
被って出ていける?毎回だよ、と 。

ちょっと気分が切り替わったみたいで
「そうだね、家帰ったら必要かね」
となりました。

わたしが近くのAEONにウィッグ専門店が
あったから、リサーチしてくるね
お願いします、という事になり
この日はそれじゃあまたね、となりました。


うーんうーんうーん
弱る親を見るのは辛いですね汗
まだまだ治療のスタートライン、
なのに母がこんなに心弱く
グズる子どもの様になるとは。
病いだけではなく老いもあるんだろうなぁ。

帰り道
ふぅ〜〜っと息を何度も深く吐きながら
病院からわたしの家路は西に向かうので
夕暮れの空が沁みました。