その晩わたしは夫にだけ内容を伝えると
もちろん夫も驚き、
えーーっと。
そしてひと言「そ、そうなんだ」と。
お互い顔を見合わせて
「うーん……」
なんも言えないよね





9月下旬に入院し治療が始まり
しばらくお見舞いで通う事になるかも。
詳しくは明日実家へ行き父と母の様子を
見つつ入院のことなど相談してくるわ、と。
母はガンと言われても元気。
きのうは検査結果を聞きに行くからと
週5のパートは休み。
夏の間の精密検査もお休みもらいつつ
その間も普通にずっと仕事してました。
痛い所もないし自覚症状は唯一少し咳が
でるくらい。
本人も「なんか嘘みたいって思っちゃう」
あけて翌日
父母の顔を見に実家へ。
父母の顔を見に実家へ。わたしのパートが早番なのでお昼過ぎに到着
父と仕事休みの弟がちょうど居て
母はまだパートから帰宅前でした。
母の居ないところでまずは三者会談
というか かえって父のこれまでの愚痴や
辛かった思いを吐き出せる時間になって
よかった〜。
父「母さんから止められてて済まんなぁ」
「でも母さんにもしもの事が
あったらと夜も寝れなかったよ
」
また近年
耳の遠くなっている父
耳の遠くなっている父前日のドクターの告知の内容も、どれだけ
きちんと聞き取れたのか不安だと。
聞き慣れない医療用語に告知のショック
「1人ではもう抱えきれなかった」と
『うんうん わかるわかる もう大丈夫』と
母の帰宅までの約一時間父を励まし
元気付けタイムとなりました。
『兎に角!これから一緒だから』と
何度と告げると目に涙を溜め
でもどこかホッとした父でした。
そこへ母がパートから帰宅〜
「あら〜わざわざ悪いわね〜」と明るく
仕事帰りにいつものスーパー寄って
いつも通り元気。
とてもガンを患ってるなんて見えない。
そして
母「急だけど今日で会社辞めてきたわ」と。
希望わや伝えたらマネージャーからは驚かれ
(そうだよね)
せめて月末までとかってならないの?と
引き止められたそう。
でも今まで人数調整で「この日休んで〜」と
けっこう急に言われてそれに対応もしてたし
そういう声かけ度が高いのは70過ぎの母。
年寄りを雇ってくれて感謝こそすれ
シフトは会社に都合よく削られてもいたし
人員的には辞めてもなんとかなるサ、と
母は踏んでいたそう。
マネージャーからは理由をもちろん聞かれ
母 「ちょっと身内で病人が急に出ちゃって…
仕事をするどころでなくて…
ほんと急で申し訳ないですが…」
マネージャーさんも
「あーそうなんですか(察し。ご主人とか?)」
母「…(無言)」
こうして告知翌日にさっとパート辞めました。
健康診断から精密検査、告知まで約2ヶ月
母なりにもしかして?万が一ガンなら?と
「考える時間は沢山あったからね」と母。
この日は周りの同僚にも告げず帰宅
翌日にロッカーの片付けと挨拶しに行き
「お世話になりました」って言ってきたそう
(そしてそこでも「身内が」で通したと)
母の希望はやはりガンと知られたくない、
でした…。
なので前日父と話し合って誰が病いかは
曖昧にして辞めると言おうと決めたそう。
人から『お気の毒、可哀想』と見られるのが
絶対に嫌だし、
もしお見舞いに来てもらっても弱ってる姿を
絶対に見せたくないの、と。
こうして長いパート勤めをサッと終えました。
わたしが中学生の頃から勤めだして約30年
経営する会社がどんどん変われど、現場の
スタッフとして繰り返し雇い続けてもらった
場所です。
帰宅した母を「長年 お疲れ様でした」と
労う弟とわたしと父でした。
さて入院は9月下旬と決まった母
それに備えて家の事や早めの冬支度
そして不在の間の父の食事の事など
アレコレと前倒しで準備。
パートに行くより忙しい毎日
その姿はとても病人には見えない
なので入院初日にはその疲れから
慣れない病室でも

グッスリ!
よく寝れてしまったというくらいでした。
反対に父は入院が近づくほど益々弱々しく
どちらが病人?と他人がと見たら迷わず父
な感じ…
弟とわたしそして弟の嫁さんである義妹、
3人の共通の意見は、母は病院にお任せ
できるけど、まずは父のケアだねーでした。
毎日ケンカばかりしていた夫婦でしたが
改めて絆というか長年連れ添ってきた
かけがえのない様子が見てとれました。