西武ライオンズタイムマシーン(第450回):40年前の今日=1985年3月24日 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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■40年前の今日■

1985年(昭和60年)3月24日(日)の西武ライオンズニュース

 

田淵幸一男泣き 感激の引退式

この日前年シーズンを最後に現役引退をした田淵幸一の引退試合となるオープン戦・西武-ヤクルト(西武球場)と試合後には引退式が行われた。
試合前には、次世代のホームランアーチストへの期待がかかる西武・秋山とヤクルト・広沢によるホームラン競争が行われた。
秋山5本、広沢2本で秋山に軍配。
そのあと田淵の親友の一人星野仙一が惜別のマウンドに上がり、打席に立った田淵は10スイングで4ホーマーした。

始球式は、3歳になる田淵の長男が投手、田淵は捕手になって行われた。
ホームベース3メートルほど前から、パパのミットめがけて見事「ストライク」投球。
同時に西武球場名物の打ち上げ花火が「ドカーン」「ドカーン」と150発打ち上げられた。

引退試合に田淵が登場したのは7回裏、二死三塁の場面で岡村の代打として指名された。
相手のヤクルト・大川投手は真っ向から速球を投げ込んだ。
初球ストライク。
2球目、3球目はボールとなり、4球目は空振りした。
そして次の5球目が最後のスイングとなった。
最終打席は空振り三振で田淵はよろめいた。

試合後に行われた引退式では、電光掲示板で約3分間、栄光の足跡を放映した後、ファン代表、星野仙一氏、ヤクルト・若松が花束を贈呈。
仲良しの広島・山本浩二から寄せられたねぎらいのメッセージも電光掲示板に。

引退式で田淵は泣いた。泣きながら球場につめかけた3万人のファンを前に約束した。
「田淵幸一、グラウンドから生涯、離れません」
いつの日か必ず監督としてグラウンドに戻ってくると誓った。

最後は、別れを告げる場内一周。
花束をかざして声援に応えるつもりでいたのに、目頭を押さえなければ前に進めなかった。
田淵は昭和49年の長島茂雄の引退式を大阪のマンションで観て田淵も男泣きに泣いた。
「あんな感動的な辞め方をオレもしたい…」
それが現実になったいま、田淵は野球人生の幸福を全身で受け止めていた。

場内一周から戻った田淵は真っ先に広岡監督に握手を求めた。
確執が噂されていた二人だが、この知将から得たものも大きかった。
田淵がまた泣いた。

 

※記事内容は1985年(昭和60年)3月25日(月)付 報知新聞一面より一部抜粋

 


【写真】親子始球式で引退式の開幕。長男の手を引く田淵は感無量。