西武ライオンズタイムマシーン(第449回):1985年3月6日 郭紅白戦登板149キロを計測 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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昭和60年(1985年)3月6日

台湾出身の注目のルーキー、郭泰源投手が西武球場での紅白戦に先発

【1回の投球】
先頭打者・青山は、カウント2-2からの5球目の149キロのストレートで空を切らせた。
前回の紅白戦では球速146キロが最速で、この時投じた149キロは日本に来てからの最速を計測した。
青山「速かった。でももっと速くなるんじゃないですか」
次打者金森には左前に合わせられたが、石毛を投ゴロ併殺打に打ち取り初回は無得点に抑えた。

【2回の投球】
先頭のスティーブに死球を与えると、井上にも四球とコントロールが乱れ始めた。
一死後、駒崎にやや高めに浮いたボールを投手強襲安打。
ひやりとさせた駒崎の強襲打はワンバウンドで左足のふくろはぎに当たった。
郭本人は大丈夫ということで続投すると、その後は速球にシュート、スライダーなどの変化球を織りまぜてのピッチングで大久保、浜本から連続三振を奪って見せた。


3回は三者凡退に退けた。
結局、3イニングを投げ、3安打、2四死球で2点を奪われたが、軽々と149キロの速球を記録するなどオリエント・エクスプレスの本領をたっぷり。
それでも郭本人は「いろんな球を投げてみた。スピードはまあまあ」、「春野より調子は上がってきている。八分くらいのデキ」と2失点もまったく気にしない様子だった。

広岡監督「手加減して投げていたね。味方だから内角は投げにくいよ」
宮田投手コーチ「はじめはよかったけどね。(制球が乱れた)2回は始まる前のキャッチボール不足だね。今後は本人と話し合って投げさせていきたい」

当時の郭泰源は注目を浴びており、マスコミ報道も過熱気味であった。
それを象徴するする出来事がこの日球場で起きていた。


広岡監督怒る!フジの高速度カメラはスパイ行為
紅白戦終了後、広岡監督はネット裏に陣取ったカメラの中に高速度カメラがあったことをさし「今日、郭が投げることを誰かが教えたのではないか?」と発言した。
高速カメラをまわしたのはフジテレビ。日曜日のスポーツ番号の中で、特集として郭を取り上げる予定で、投球する際に球の握り方などを映し出せるカメラを持ち込んだ。
そのカメラを使っての取材が広報を通していないものであった為、広岡監督は「この大切な時期にテレビ番組で流すなんてめちゃくちゃですよ。いまの段階でハダカにされるのは、開幕前にマイナスだ」とカンカン。

 

昭和60年(1985年)3月7日(木)付 報知新聞より一部抜粋