西武ライオンズタイムマシーン(第446回):40年前の今日=1984年11月8日 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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■40年前の今日■

1984年(昭和59年)11月8日(木)の西武ライオンズニュース

 

さらば西武よ 江夏 栄光の左腕も寂しく引っ越し


引退が決定的となっている西武・江夏豊投手(36)は8日、西武球場へ出向き、わずか半年の短い間だったが、使用したロッカーを整理。
それにしても数々の記録を残した栄光のサウスポーにしてはあまりにも寂しい「引っ越し劇」だった。

黒いジャンパーにジーパン姿で江夏がやってきたのは午後二時五十分。
ちょうど西武球場内では紅白戦を終え、個人練習に入るところで、まるで首脳陣、ナインとの接触を避けるように江夏は無人のロッカーへ入った。
すでに引退し整理された山崎裕之と永射保の両ロッカーにはさまれた場所で荷物をまとめる江夏にどんな感情がよぎったのだろうか。
手伝ったのが島田二軍マネージャーだけ。
そのあたりも、18年間の最後をとうとうファーム暮らしで終わった男を象徴するような寂しさが漂った。
「ワシが入団したから負けたと言われんように頑張るさ」と自信高々の笑顔で西武入りした今季。
しかしキャンプの時点で早くも広岡監督との確執がささやかれ、ナインとの間に亀裂を生んだ。
一匹オオカミにはこのチームの体質が合わなかったということか。
7月26日、病気を理由に一軍登録を抹消されてから、ついに江夏は一軍のマウンドへ戻ってこなかった。
一軍のロッカーを訪れたのはそれ以来であった。
一つのスーツケースと三つのバッグ。
江夏は最後まで本球場に目を向けなかった。

18年間のプロ生活に終止符を打つとともに「最後の球場」に別れを告げた。

一方の広岡監督は、江夏が引き上げるのと前後し監督室へ消えた。

今後江夏は評論家活動に入るが、現在決まっているのは週刊誌、スポーツ新聞紙各一紙だけである。

 


【写真】二軍マネージャーをお手伝いに、荷物整理を終えた江夏。一匹オオカミはどこへ…。

 

※記事内容は1984年(昭和59年)11月9日(金)付 報知新聞より一部抜粋