前回「1981年 大田卓司 Part.1」からのつづきです。
【1981年の大田卓司】
西武在籍:3年目(30歳)、背番号25
打撃成績:100試合、332打数92安打、打率.277、24本塁打、64打点、3盗塁
1981年は、1976年の118試合出場に次ぐ100試合に出場した。
本塁打も同年の23本以来、5年ぶりに20本を越える24本を放った。
【大田卓司:1981年の主な出来事】
4月24日:3号逆転満塁弾を放ちシーズン初の勝利打点を記録(○西武13-6阪急)
4月30日:3ラン含む3安打4打点の活躍で勝利打点(○西武8-4日本ハム)
5月24日Wヘッダー第2試合:10号本塁打を放ち、自身3年連続6度目の2ケタ本塁打数に到達(○西武10-6近鉄)
6月3日:対阪急前期11回戦(西京極)で、4回表に関口朋幸から左越2ランを放ちプロ通算100号本塁打を達成(○西武7-1阪急)
9月11日:自身5年ぶり2度目の20号本塁打に到達(○西武6-5南海)
10月4日:最終戦で自己のシーズン最多本塁打数(1976年23本)を更新する24号を放つ(○西武5-4ロッテ)
【大田卓司1981年名場面】
4月24日(金) ○西武13-6阪急●
「必殺仕事人」大田、今季初のスタメンで1号逆転満塁弾
まさに必殺の仕事は5回の表、二死満塁の場面だった。
「むこうの先発が(左腕の)白石ということもあってぼくを三番に使ってくれたのでしょう。期待にこたえられた。」
試合後に言った大田の一撃は白石の外角シンカーをねらいすまして右翼ラッキーゾーンへ逆転の満塁アーチとなって舞い落ちた。
(西宮球場:観衆7千5百人)
5回2死満塁から西武は大田(中央)が右越に満塁アーチ。
決定的な一打に阪急・白石(右)はマウンドでガックリ
写真:1981年(昭和56年)4月25日付 報知新聞より
6月3日(水) ○西武7-1阪急●
大田通算100号、西武23年ぶり10連勝
この日、田淵の代役として三番に名を連ねた大田。
4回表、一死二塁で関口投手から左翼へ今季12号2ラン本塁打を放った。
プロ入り13年目で到達した記念の通算100号アーチでもあった。
(西京極球場:観衆1万6千人)
通算100号となる2ラン本塁打を放ち、笑顔でチームメイトと握手をかわす大田
写真:1981年(昭和56年)6月4日付 報知新聞より