西武ライオンズタイムマシーン(第434回):1981年 小野和幸 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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(1981年西武ファンブックより)

田淵選手と並ぶチームの一の長身から投げおろす速球は威力がある。
大投手になるために必要な度胸も十分。
打者との駆け引きさえ学べば、1軍でも投げられる実力。

 

【アマチュア時代】
金足農高時代は、1年秋からエースとなり、2年時には秋季秋田県大会決勝まで進出。
決勝はのちに西武でチームメイトになる秋田商・高山郁夫との投げ合いの末、準優勝に終わった。
3年時は、夏の甲子園県予選で準決勝で敗退し、甲子園出場は叶わなかった。
全国的には無名な存在もプロ球団からは186センチの大型右腕として西武以外にも阪神、近鉄がマークしていた。
小野に対するプロの評価は高かったが、社会人野球の日本鋼管への就職が内定していた。
だが、球界の新盟主を目指し日本中の逸材を獲得し続ける西武が、小野への熱烈ラブコールと周辺への説得を成功させ最終的にドラフト外で西武への入団が決まった。
入団が決まると高卒のドラフト外での入団ながら、球団の期待の表れとも言える背番号「13」を与えられた。

 

【1981年の小野和幸】
西武在籍:1年目(19歳)、※新人=金足農高からドラフト外入団、背番号13
一軍成績: 1試合、1勝 0敗 0セーブ、投球イニング5回、自責点2、防御率3.60、奪三振1

 

【イースタンリーグ成績】
投手成績:32試合、15勝 8敗 1セーブ、投球イニング182回2/3、自責点57、防御率2.80、奪三振72
打撃成績:32試合、61打数6安打、打率.098、0本塁打、2打点、0盗塁

 

1981年は、高卒新人ながら、イースタンリーグの試合では積極的に登板機会を与えられると前半戦だけで12勝を挙げ期待以上の大活躍を見せた。
最終的にイースタンリーグでは、リーグ新記録のシーズン15勝をあげ最多勝を獲得。
西武二軍のイースタンリーグ初優勝に大きく貢献した。
一方でシーズンワーストタイ記録となる17被本塁打も記録していた。

一軍デビューは、ペナントレース最終戦の10月4日対ロッテ後期13回戦(西武球場)。
先発としてプロ初マウンドに立ち、5回4安打3失点(自責点2)ながらも、プロ初勝利をあげた。
3回表にはこの年の首位打者・落合博満からプロ初奪三振も記録した。

 

【当時の記事写真とコメント】

真上から投げおろす速球にかける小野

小野は1メートル86と田淵と同じチーム1の長身。
真上から投げおろす直球は威力がある。
本人は「木田(勇)投手のような、速球を武器にする投手になりたい」といっている。
今シーズン、すぐに1軍で登板するのは無理かもしれないが、下半身を鍛えれば、もっと速球が伸びよう。
林コーチは「いいボールを投げますから、ライオンズの中心投手になるでしょう」と素質をかっていた。
東北出身らしい粘り強い投手になってもらいたい。