西武ライオンズタイムマシーン(第433回):1981年 秋山幸二 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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(1981年西武ファンブックより)

投手出身だけに体にバネがある。
鍛え抜いた足腰で打つバッティングは将来が楽しみだ。

 

【アマチュア時代】
八代高時代は投手。
当時、九州で四天王と呼ばれ注目されていた4投手の一人として秋山の名も知られていた。
(秋山以外は、熊本工・大津一洋、柳川・中島輝士、都城・井上祐二)
秋山は、チームの投打の中心選手として、3年時の春季九州大会では準優勝へ導いた。
高校最後の夏の熊本県大会は決勝まで進出したが、後に西武でチームメイトになる大津一洋、伊東勤のバッテリーがいた熊本工に惜敗し甲子園出場はならなかった。
当然プロのスカウトからも注目されていた選手だったが、秋山は大学進学への意思が強かった為、ドラフトでの指名はなかった。
しかし、ドラフト終了後に一転プロ入りを表明した為、西武、巨人、阪急、広島による争奪戦となった。
最終的に「打者として育てたい」という西武の口説き文句が決め手となり、ドラフト外での入団が決まった。
西武入団と同時に三塁手へ転向。

 

【1981年の秋山幸二】
西武在籍:1年目(19歳)、※新人=八代高からドラフト外入団、背番号71
一軍成績:3試合、5打数1安打、打率.200、0本塁打、0打点、0盗塁

 

【イースタンリーグ成績】
打撃成績:56試合、170打数42安打、打率.247、7本塁打、21打点、5盗

 

高卒新人ながらイースタンリーグの試合でも積極的に起用され56試合に出場。
5月27日対巨人戦の5回には、代打で起用され本塁打を放った。


ジュニアオールスター戦へも出場
西武からは4選手が出場。
試合前の記念撮影で左から小野和幸、駒崎幸一、鴻野淳基、秋山幸二。

チームがペナントレース争いから脱落したシーズン終盤に一軍昇格。
早速、9月29日対近鉄後期13回戦(日生球場)で、7番・三塁手で先発起用された。
4回表に左中間三塁打を放ちプロ入り初安打を記録した。

 

【当時の記事写真とコメント】

長打力に磨きをかける秋山選手
秋山は投手出身だけに足腰が強い。
「田淵選手を目標にがんばります」と、長打力に磨きをかけていた。
守備は長身を利用しての一塁か。
ベテラン選手もうかうかしていられない。