【1987年9月20日(日):○西武6-2ロッテ●】
清原和博、2000奪三振記録を狙った村田兆治を返り討ち
この試合前、プロ野球史上13人目の2000奪三振記録まで「あと1」と王手をかけていたロッテ・村田兆治。
8月24日にライバルの阪急・山田久志が同じ2000奪三振記録を清原から奪って達成していただけに、村田も「出来れば清原から奪いたい」と熱い想いを抱いて先発マウンドに立っていた。
山田に続き村田にも標的とされた清原はまだ2年目の20歳だ。
対決は2回表一死後にやってきた。
清原は村田が記録に王手をかけていたことを知って打席に立っていた。
実は、清原は前日の試合で自打球を左スネに当ててハレ上がった故障個所をテーピングできつく巻いて試合に出場していた。
だが「村田さんとの勝負が好きなんです」とルーキー時代から明言していたように清原の心も熱かった。
清原はゆっくりと打席に向かいながら「中途半端なバティングだけはやらんようにしよう。三振かホームランだ」自らに言い聞かせていたという。
そしてカウント1ストライク2ボールからの4球目。
かつて「速球王」の異名を取った村田の外角速球だ。
ジャストミートした一撃がセンター右のスタンドへ突き刺さった。
優勝争い真っただ中、前日の敗戦で負けられない試合になった西武にとっては勝利の為にどうしても欲しかった先制点だ。
ホームランと言うこれ以上ない結果で「優勝を争うチームの4番打者の自覚」というものを証明してみせた清原が、「記録達成は清原から」という村田の思いを打ち砕いた。
ケガがなんだ!清原先制23号
前日の試合で自打球を当て負傷した清原だったが、ケガにも負けず出場。
2回表、ロッテ・先発の村田兆治からセンター右へ23号先制ホーマーを放った。
新聞スクラップより(1987年9月21日付・報知新聞)
このホームランは、清原がプロ入り2年目にして初めて村田から放ったホームランでした。
1990年に村田が現役引退をするまで両者の対戦において、
清原は村田から7本塁打を放ち、村田は清原から16個の三振を奪っている。