【1985年4月14日(日):●西武2-6ロッテ○】
不死兆治 男泣き村田 3年ぶり勝った マサカリ復活155球完投
9回表、最後の打者、スティーブのゴロが二塁手・佐藤健から一塁へ送られた。
マウンド上で村田が心からの笑顔をこぼしながら、右手で小さくガッツポーズした。
女房役の袴田が二度、三度と跳びはねながら村田に抱きつく。
山本が、落合が、続々とナインが祝福の握手を求める。
村田が三年ぶりの勝利をあげ、真の復活を果たした瞬間である。
この日、三者凡退に抑えたのは4回だけ。
それでも西武打線に得点を許さなかった。
手術後、公式戦では未知の6イニング目。
6回に迎えた1死、一、ニ塁のピンチは、秋山、安部を連続三振で切り抜けた。
完封を意識した8回に4四球と乱れ2失点した点を反省したが、被安打7、8奪三振、155球を投げ抜き見事な完投勝利だった。
村田の試合後談
「この1勝のために長かった三年間、野球生命をかけてきたんだ。この1勝はチームメイトのお陰です。」
「投げられるだけで素晴らしいことなのに…。神様がいるということだ。」
新聞スクラップより(1985年4月15日付・報知新聞)
【試合ハイライト】
ロッテ対西武2回戦
両チームの先発は西武・松沼雅之、ロッテ・村田。
5回終了時点で0-0の投手戦。
迎えた6回裏にロッテがその均衡を破る。
庄司左前安打、横田が送った後、リーの右前タイムリー安打で先制。
続く落合が右翼へ3号2ラン本塁打を放ち3-0となった。
7回にも庄司の右前タイムリー安打で追加点をあげロッテ4-0とした。
2点差に詰め寄られた8回裏には落合の2打席連続となる4号2ランで突き放した。
村田は、1982年5月17日日本ハム戦以来、約3年ぶりの白星となった。
(川崎球場:観衆2万1千人)
西武・広岡達郎監督
「5回まではいい投手戦やったのに、勝ち負けは執念の差です。あれだけ実績のある投手が勝ちに向かってひたむきに投げていた。それに比べて弟(松沼雅)はバックの守り次第ですぐにハリを失ってしまう。雲泥の差ですよ。村田は走者を出すとクイックで、小さなモーションでうまく投げた。よく研究しとるよ。そしてここだとい場面でフォーク。数は少なかったけどうまく考えて投げていた。あれだけの投手があれだけの努力をしとる。たいしたもんです。見習うべき努力だ。」
西武・石毛宏典(1番・遊撃手でスタメン出場し、4打数ノーヒット、1三振)
「ストレートは速くなく、スライダー系のボールが多かった。村田さんのイメージとはやはり変わっていました。」
西武・田尾安志(3番・右翼種でスタメン出場し、4打数1安打、1三振)
「中日時代はオールスター戦で対戦したことがなかった。ベンチから見た限りではフォークは大きいという印象だったが、きょうの三振のフォークは落差がなかった。でも球に力はあるし、次の対戦に楽しみの残る人だ。」
西武・大田卓司(8回代打で1打席のみの対戦も凡退)
「オレの打席は1打席だけで、2球ともスライダーだった。昔みたいなすごいスピードはないけれど、球はキレていた。執念かな。これで投げあと痛まなきゃ本物の復活だ」