西武ライオンズタイムマシーン(第365回):1980年 テーラー・ダンカン Part.1 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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古き良き、そして青き「ライオンズブルー」の懐かしの選手や、思い出の名場面などを私が所有している当時の野球カードや記事などを紹介しながら振り返っていきます!

(1980年西武ファンブックより)

米大リーグで、ドラフト1位で指名された選手だけにスケールが大きい。
鮮やかなグローブさばきは安心してホットコーナーをまかせられる。
打撃のほうも力があるのか、軽く当てただけでスタンドへ放り込む頼もしさだ。

 

【1980年のダンカン】
西武在籍:1年目(27歳)、※米マイナーから移籍、背番号44
打撃成績:64試合、230打数54安打、打率.235、14本塁打、36打点、2盗塁

 

1971年MLBドラフト1巡目(全体10番目)の高評価で指名されアトランタ・ブレーブスと契約。
カージナルス在籍時の1977年にメジャーデビューし、メジャー初本塁打も放った。
翌1978年にアスレチックスへ移籍し、104試合に出場し82安打、2本塁打、37打点の成績を残した。

1980年、新外国人選手として西武へ入団。
日本ハムとの開幕戦で5番・三塁手として来日初出場。
翌4月6日対日本ハム前期2回戦(後楽園球場)で木田勇から来日初安打を放った。
4月12日対近鉄前期2回戦(西武球場)で、村田辰美からソロを放ち来日初本塁打も放った。
その後も4月=5本、5月=5本、6月=4本と毎月コンスタントに本塁打を放ち前期だけで14本塁打を放った。
本塁打は田淵幸一の19本に次ぐチーム2位の数字で長打力と言う点では期待に応えていた。
しかし、打率はずっと2割台前半に停滞したままであり、三塁の守備でも6失策と助っ人としては物足りない成績ではあった。
6月に西武は大リーガーのスティーブを新外国人選手として獲得した為、ダンカンは前期終了と同時に解雇となり退団した。
西武退団後は3年間メキシカンリーグでプレーした。

 

【1980年当時の記事写真】

 

次回「1980年 テーラー・ダンカン Part.2」へつづきます。