西武ライオンズタイムマシーン(第356回):1980年 大北敏博 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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1979年~2008年までの西武ライオンズを中心にプレイバック!
古き良き、そして青き「ライオンズブルー」の懐かしの選手や、思い出の名場面などを私が所有している当時の野球カードや記事などを紹介しながら振り返っていきます!

(1980年西武ファンブックより)

ショートのポジションを行沢と争っている。
巨人での下積み経験を十分に生かしてレギュラー獲得に懸命。
勝負はバッティングになろう。
大きいのは狙う必要はないので、シーズンを通して、いかにコンスタントに打てるかだ。

 

【1980年の大北敏博】
西武在籍:1年目(28歳)、※巨人から移籍、背番号4
打撃成績:6試合、5打数1安打、打率.200、0本塁打、0打点、0盗塁

 

(イースタンリーグ成績)
打撃成績:35試合 36打数7安打、打率.194、0本塁打、2打点、1盗塁


1970年ドラフト会議で巨人に2位指名され入団。
しかし、ドラフト会議直前まで早稲田大学への進学を表明してプロ拒否の意向を伝えていた為、複数の球団が指名を見送った。
その為、巨人が指名し一転プロ入りとなった為、マスコミから巨人との密約の疑惑を受ける騒動もあった。
巨人入団後は、右肘の故障もあり、打撃力と俊足を活かす為、内野手へ転向。
1972年にイースタンリーグの遊撃手部門でベストナインに選出。
1976年には打率.333でイースタンリーグの首位打者を獲得。
1977年に一軍初出場を果たし、1978年にはプロ入り初安打、初本塁打も放つなど33試合に出場した。

1979年オフに成重春生との交換トレードで西武へ移籍。
西武移籍1年目の1980年は、開幕一軍入り。

開幕2戦目に代走として西武での初出場を果たした。
4月15日対阪急戦で7番・遊撃手として移籍後初の先発出場をするも3打席連続三振に倒れ、4打席目には代打を送られた。
翌16日も9番・遊撃手として先発起用されたが失策を記録し途中交代となった。
その後二軍へ降格し、シーズン終了まで一軍への再昇格はならなかった。
二軍降格後は、イースタンリーグでも打率1割台に低迷し、この年限りで現役引退。
背番号4を与えられるなど期待されての西武移籍だったが、わずか1年限りでの退団となった。


【1980年当時の記事写真とコメント】

レギュラーをめざして野球人生をかける意気ごみ
強肩強打を売りものに、内野陣の一角をねらってハッスルしている。
ライオンズを最後の働き場所と決めてかかっているのか、納得のいくまでプレーを続ける熱心さは期待できそうだ。