【今日の1枚】タカラ 1991年発行 プロ野球カードゲーム 鹿取義隆 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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【今日の1枚】(通算114枚目)

1991年(平成3年) タカラ

野球カード

プロ野球カードゲーム 鹿取義隆

 

 

 

【ゲーム設定】

ゲームでヒットが出る確率は、36通り中5通り。

つまりゲームでの打率設定は.139になります。

ホームランの設定はありません。

投手は上記の打率設定で統一されています。

 

さて、鹿取は1990年に巨人から西武へ移籍。

ゲームカードにはその移籍1年目の1990年成績が記載されています。

注目する点は、鹿取が24S(セーブ)を記録している点です。

当時西武の一番のウィークポイントが試合の最後を締めるスットッパーが不在だった事です。

下記へ鹿取が西武へ移籍してくる前の近5年間(1985年~1989年)の西武投手陣が記録したセーブ合計数をまとめました。

( )内は、その年のチーム最多セーブの投手とセーブ数です。

 

【1985年】21セーブ(チーム最多=渡辺久信11セーブ)

【1986年】22セーブ(チーム最多=郭泰源16セーブ)

【1987年】15セーブ(チーム最多=渡辺久信8セーブ)

【1988年】12セーブ(チーム最多=小田真也5セーブ)

【1989年】11セーブ(チーム最多=山根和夫4セーブ)

【1990年】33セーブ(チーム最多=鹿取義隆24セーブ)

 

1990年にセーブ数が一気に増えたのが一目瞭然です。

特に1989年11セーブから1990年33セーブと3倍も増えています。

1989年はリードしながらも試合終盤に逆転を許して勝ちゲームを落とすことが何度もあり、ストッパー不在が響いたシーズンでした。

優勝した近鉄とわずか0.5ゲーム差、勝率2厘差の3位に敗れ、リーグ5連覇を逃したことで森監督が巨人時代にストッパー経験のあった鹿取の獲得を希望し、巨人時代のチームメイトであった藤田元司監督へ打診して獲得に成功しました。

そして1990年に鹿取と同時に加入した新人・潮崎も8セーブをあげWストッパーが確立。

長年の課題だった弱点を補強し盤石なチームとなった1990年は、ペナントレース、日本シリーズとも他チームを圧倒しました。

 

(修正済)